【史跡名】
三稜郭跡
【三稜郭跡の説明】
榎本脱走艦隊(蝦夷共和国)では新政府軍の襲撃に備えて各地で砲台や陣屋の建設を急いだ。明治2年(1869年)、旧幕府軍は「弁天台場」の改修をはじめ、千代ヶ岡台場、権現台場、四稜郭などの防衛施設を建設した。
そんな中、「五稜郭」「四稜郭」の他に「三稜郭」の存在が浮上したのである。古地図には三稜郭らしき陣屋が記載されていて、これがどこにあったのかが争点となった。現在では「北海道函館市桔梗」にある「比遅里神社」がその場所であろうという研究結果が出ている。
確かにそれらしき土塁が残る他、神社そのものが三角形の形をしている。あくまでも仮説だがこの場所が三稜郭の候補地として挙げられている。
【三稜郭跡・場所・アクセス】
〒041-0808 北海道函館市桔梗1-1-7
【三稜郭跡地図】
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