【史跡名】
宮古湾海戦の碑
【宮古湾海戦の碑の説明】
明治2年(1869年)5月6日、榎本武揚率いる旧幕府軍は海軍力の劣っている穴を埋めるため宮古湾に停泊している新政府軍の旗艦「甲鉄艦」を奪取する斬り込み攻撃を実行した。これが「宮古湾海戦」であり、これに用いた奪取作戦を「アボルダージュ」という。
開陽丸を江差沖で失った旧幕府軍は、海軍力の差を埋めるためこの作戦を敢行したが、作戦は失敗して多くの死傷者をだした。さらに作戦に参加していた高雄丸を拿捕されるという憂き目にもあった。
当初は「回天丸」「蟠竜丸」「高雄丸」の三艦で実行する予定だったが、途中の暴風雨で「蟠竜丸」がはぐれてしまい、高雄丸は機関の故障により「回天丸」のみで実行することになった。
回天丸は外輪船で甲鉄艦への横付けが困難なため、船首からぶつかり甲鉄艦に乗り上げてしまった。この段階で斬り込み隊が斬り込みを行うが高さが3mも違う両艦では甚だ困難であった。旧幕府軍が甲鉄艦への乗り移りを躊躇している間、新政府軍は態勢を立て直し、反撃にでた。
※甲鉄艦へ体当たりする回天丸の勇士
結局、この作戦は失敗に終わり、先に書いたように高雄丸も失いさらに海軍の差が開いてしまった。この作戦の失敗により、制海権は完全に死ね政府軍が握り蝦夷地への上陸をたやすく許すことになる。
現在の岩手県宮古市宮古湾には「宮古湾海戦の碑」が建っている。
【宮古湾海戦の碑・場所・アクセス】
〒027-0001 岩手県宮古市日立浜町32
【宮古湾海戦の碑地図】
コメント
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「宮古湾海戦の碑」、正確には写真に写っている「宮古港海戦記念碑」ですが、【宮古湾海戦の碑地図】に示されている位置にはありません。かなり離れた場所にありました。