【史跡名】
一橋邸跡
【説明】
御三卿の一つ一橋家の屋敷は江戸城一橋門内(現在の千代田区大手町1丁目4番地付近)にあった。
御三卿とは御三家に次いで将軍職を受け継ぐことが出来る家柄のこと指し、「一橋家」「田安家」「清水家」の3家からなっていた。
なお、御三卿から将軍職を出した家はこの「一橋家」しかなく、他の家からは将軍職には就いた当主はいなかった。徳川家最後の将軍「一橋慶喜(徳川慶喜)」はあまりにも有名である。
弱体化した徳川幕府をどうにか立て直そうと奮闘し、最後は将軍職を天皇家に返上するという「大政奉還」をやってのけた。
国を担う力が公家や天皇家にはないと見込んでの大政奉還であったが、薩摩藩、長州藩を中心とする倒幕派からは領土を返納する旨を通達され結局は武力で幕府を倒したい倒幕派の手中にはまっていくことになる。
徳川慶喜はひたすら恭順を貫き、部下を捨ててまで江戸城へ帰り謹慎生活を送った。
これにより薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)の矛先は会津若松城へと向かったとされている。
【営業時間等】
年中無休にて一般開放
【一橋邸跡・場所・アクセス】
〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目4−2
【一橋邸跡地図】
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