【史跡名】
山岡鉄太郎銅像
【説明】
山岡鉄太郎(通称:鉄舟)は幕末の剣客にして禅・書も極めた人物として知られている。幼少期から武芸に励み北辰一刀流の門をたたく。その傍ら、庄内藩郷士「清河八郎」らとともに尊王攘夷を掲げる「虎尾の会」を結成。清河が発案し幕府が採用した浪士組結成に尽力しその世話役に任命される。
しかし、京都で清河の陰謀が発覚しほどなく江戸へ帰還し浪士組は庄内藩お預かりとなる。山岡鉄太郎がその名を知られるようになったのは、何といっても江戸城無血開城の際に勝海舟のつかいとして「征討大総督府参謀」西郷隆盛と駿府にて面会したことだろう。
その後、西郷と勝は江戸の薩摩藩邸にて最終会談を行い江戸城の無血開城が実現した。一方、鉄太郎は明治維新後「静岡県権大参事」「茨城県参事」「伊万里県権令」を歴任した。さらには天皇の侍従として宮中に出仕することになる。
明治時代に入ってからも剣の道を極め、自ら「無刀流」を開きその開祖となった。宮内大丞、宮内少輔を歴任し、明治20年(1887年)にはその功績により子爵に任じられる。ちなみに「勝海舟」「高橋泥舟」「山岡鉄舟」を指して「幕末の三舟」と呼ばれている。
明治21年(1888年)7月、胃癌により逝去。享年53。
最後は皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命したと言われている。
【所在地・アクセス】
〒506-0012 岐阜県高山市八軒町1-5
【城地図】
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