【合戦名】
川中島の戦い
【説明】
戦国史上あまりにも有名な川中島の戦い “後編” をご紹介させて頂きます。前編では武田軍に悟られないように上杉謙信が妻女山を降りてきたところで終わりました。
十日朝、武田本隊の目の前に突如上杉軍一万三千が陣取っていた。山本勘助は自分の戦術が破られたことを知る。この戦場が死に場所になると悟ったにちがいない。謙信は車懸りの陣で武田軍を襲い、信玄は鶴翼の陣で応戦する。
武田軍は劣勢に立たされたが、勘助らの必死の防戦でどうにか持ちこたえていた。そして、昼前になると武田本隊に別働隊が合流して形成は一気に逆転した。
謙信は兵を善光寺にまで退き、信玄も追撃をやめて兵を引いた。
結局勝敗は着かず、ひとまず停戦となった。これが最も激しい戦いとなった第四次川中島合戦の大略です。しかし、この合戦ののち川中島周辺の領地は信玄のものとなりました。
川中島の戦いは上杉謙信も武田信玄も一進一退の攻防を繰り広げた戦いでした。同じ時代の、それも隣国にこのような戦の天才が二人もうまれたことは天のいたずらだったのかもしれませんね。
※写真は信玄が川中島の戦いの拠点とした海津城跡(現:松代城跡)です。
【所在地・アクセス】
長野県長野市小島田町
【川中島の戦い合戦場・地図】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。