陸奥宗光 宛
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拝啓。然ニ小弟宿の事、色々たずね候得ども何分無之候所、昨夜藩邸吉井幸輔より、こと伝在之候ニ、未屋鋪ニ入事あたハざるよし。四條ポント町位ニ居てハ、用心あしく候。其故ハ此三十日計後ト、幕史ら龍馬の京ニ入りしと謬伝して、邸江もたずね来りし。されバ二本松薩邸ニ早々入候よふとの事なり。小弟思ふニ、御国表の不都合の上、又、小弟さへ屋鋪ニハ入ルあたハず。又、二本松邸ニ身をひそめ候ハ、実ニいやミで候得バ、萬一の時も在之候時ハ、主従共ニ此所ニ一戦の上、屋鋪ニ引取申べしと決心仕居申候。又、思ふニ、大兄ハ昨日も小弟宿の事、御聞合被下候彼御屋鋪の辺の寺、松山下陳を、樋口真吉ニ周旋致させ候よふ、御セ話被下候得バ実に大幸の事ニ候。上件ハ唯、大兄計ニ内々申上候事なれバ、余の論を以て、樋口真吉及其他の吏〃ニも御申聞被成候時ハ、猶幸の事ニ候。不一宜敷。頓首々々十八日龍馬望月清平様龍机下 |
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この手紙は加七(海援隊が投宿する沢屋旅館主人)が来て、是非手紙を書いて陸奥先生に送って下さいというので目の前で書いた。ご案内の沢(沢村惣之丞:海援隊士)や加七(海援隊が投宿する沢屋旅館主人)の話(これは手下の菱屋某が聞いた話で度々私のところに相談しに来た)では、仙台の国産物をみんな引き受けて商売する話云々のことです。私の手元から金一万両出せとのこと。条件を是非ともお聞かせ頂いたが、商売のことは陸奥に任せてあるので、陸奥さんが良いと言えばお金を貸すと伝えた。しかし、右のようなお金 をはいどうぞといって出すことも出来ない。よくよく陸奥に話してくれと言っています。加七いわく、仙台の役人及び河内(大阪堺の辺り)の郷士らが会合し、加七自らが大阪を離れるわけにはいかないから、陸奥先生が早々に上京し、この人々に引き合わせたいと思っているとのこと。この上よくお考え下さいませ。私の考えを密かに大兄(陸奥宗光)に話したいので、今抱えている丹波丹後(京都北部)の件云々も合わせて、大阪四ツ橋大仏の門前で会合することを忘れないで下さい。この話は、十分にご用心して下さい。くれぐれもご用心あれ。まずは早々に。10月22日龍馬元二郎先生(陸奥宗光の変名) |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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