望月清平 宛
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拝啓。然ニ小弟宿の事、色々たずね候得ども何分無之候所、昨夜藩邸吉井幸輔より、こと伝在之候ニ、未屋鋪ニ入事あたハざるよし。四條ポント町位ニ居てハ、用心あしく候。其故ハ此三十日計後ト、幕史ら龍馬の京ニ入りしと謬伝して、邸江もたずね来りし。されバ二本松薩邸ニ早々入候よふとの事なり。小弟思ふニ、御国表の不都合の上、又、小弟さへ屋鋪ニハ入ルあたハず。又、二本松邸ニ身をひそめ候ハ、実ニいやミで候得バ、萬一の時も在之候時ハ、主従共ニ此所ニ一戦の上、屋鋪ニ引取申べしと決心仕居申候。又、思ふニ、大兄ハ昨日も小弟宿の事、御聞合被下候彼御屋鋪の辺の寺、松山下陳を、樋口真吉ニ周旋致させ候よふ、御セ話被下候得バ実に大幸の事ニ候。上件ハ唯、大兄計ニ内々申上候事なれバ、余の論を以て、樋口真吉及其他の吏〃ニも御申聞被成候時ハ、猶幸の事ニ候。不一宜敷。頓首々々十八日龍馬望月清平様龍机下 |
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拝啓。私の宿のへ訪ねて頂きましたが何分そこにはおらず、昨夜は薩摩藩の吉井幸輔から伝言があるとのことなので、いまだ土佐屋敷におります。四条の先斗町にいては危ない。なぜかというと、30日ばかり前に幕府の役人らが龍馬が京都に来たと漏れ聞いて土佐藩邸にも尋ねに来た。それゆえ、二本松の薩摩藩邸に早々に入るように言われた。私は国表の不都合(土佐藩脱藩の罪)があるので、私でさえ土佐藩邸には入れない。 また二本松の薩摩藩邸で身を潜めているのは、実に嫌味であるので、万が一のことが発生した時にもここにいるようなら、主従共々一戦の上で土佐藩邸に引き取るべしと決心しました。また、大兄(望月清平)は昨日も私の宿のことを聞いて頂いていると思うが、この裏の御屋敷の辺りに伊予松山藩下陣があり、樋口真吉(土佐藩士)に周旋させるようにし、お世話して頂けると幸いにございます。この件は、大兄(望月清平)だけに内々に伝えているので、この話を樋口真吉(土佐藩士)及び他の面々にもお伝え下さればなお幸いにございます。よろしく。18日龍馬望月清平様(土佐藩士) |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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