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先達てイロハ丸紀州軍艦の為に衝突被致、遂及沈没候儀に付、薩州五代才助、紀の内意により度々後藤象二郎へ誤出、何分対薩州不得止訳に相成、一先五代之申条に任せ候処、今日紀の官長、後藤へ罷越、重々誤入候趣申に付、許し遣し候。尤、船貨公物並に水夫旅人手廻の品に到る迄、一切償金相立候定に候。此条、官長より被申聞候間、御掛合申上候。以上。五月廿九日才谷梅太郎小谷耕蔵殿渡辺剛八殿 |
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先に伝えてあるように伊呂波丸は紀州藩の軍艦の為に衝突し、沈没しました。五代才助が紀州藩から後藤象二郎(土佐藩士)へ内々に誤ってきました。何分にも対薩摩藩という構図にはなりたくないのでしょう。五代が言うには、一先ずは紀州の責任者は後藤の元へ行き、重々謝るとのことなので許してやるべしとのこと。もっとも、船の価値及び水夫の賃金に至るまで一切の保証を支払ってもらうと定めた。この旨、紀州藩の責任者に掛け合うつもりです。5月29日才谷梅太郎(龍馬変名)小谷耕蔵殿(海援隊士)渡辺剛八殿(海援隊士) |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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