高柳楠之助 宛
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一翰致敬呈候。然ハ先夜御別後、広く世界之数例を推し候処、御船を以再度衝突被成候ニ依而致沈没候事故、何分貴方より其条理御立被下候事、必然之道理ト相聞へ申候。去ル四月鞆津御談判之節、世界之公法ニより処置可致御定約仕候通、於当地早々御決着可被遣候筈之処、先夜之御議論ニ者世界之公法トハ幕府之御処置相願い候上の事ト被仰聞候。其儀なら者、当時大樹公ニも御出京ニ相成居候事故、鞆津直様御上坂可被成筈ニ候。将御出発後ハ唯貴方の御用のミ御達し被成、私共困難の事件者時日を御延し被成候。是不解の第一ニ候。 且於当方所ニハ未御談判ニても明白ニ御座候。此状私共江冤罪を御被セ被成候御手段ニ相当り候。是不解之第二候。於私も御存之通、船并公物多沈没、不計も箱主用候得者、徒ニ移時日候てハ寡君申し訳難相立候。因テ早々貴方より弊藩官長江御引合可被成遣候。若其儀も遅延被成候時ハ、最早乗組一同貴藩之御手ニ倒レ申より外無之候。御病中乍御気毒此状申上置候。宜御如意も可成下候。謹言。月日才谷梅太郎高柳楠之助様 |
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書簡をしたためさせて頂きます。先夜のお別れ後、広く世界の数例を調べました。船をもって再度追突したことが沈没した理由ですので、貴方この条理を理解して下さい。これは必然の道理だと聞いている。去る4月鞆の港で会談のとき、世界の公法によって解決しましょうと言いました。こちらは早々に解決したいと思っていますが、先夜に会合した者は世界の公法とは言わず幕府の判断を願いましょうと言っていた。この話が本当ならば、当時将軍も京都にいたので、鞆の港の事件は直々に裁可したはずである。まさに事故後に出発した後は貴方の用事のみ行い、私ども事故の当事者困難を極めている。 これは不快の一つである。かつ、当方とも会談もしようとしないことは明白です。この現状は私どもに冤罪を着せる手段でしょうか。これが第二の不快です。ご存知の通り、私は船及び公物も沈没してしまい、はからずも船の所有者に対して、日時を伸ばされては申し訳がたたない。よって早々に貴方から幣藩官長に会って頂きたい。なお、それでも遅延するようならば総乗組員で貴方の藩を倒しにいくしか他ない。ご病気中でお気の毒とは思いますが宜しくお願いします。才谷梅太郎(龍馬の変名)高柳楠之助様(紀州藩明光丸艦長) |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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