三吉慎蔵 宛
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此度の御志の程、士官の者共に申聞候所、一同なんだおはらい難有がりおり申候。再拝〃。拝啓。昨日御申聞被遣候事共、実に生前一大幸、言語を以て不可謝御事ニ御座候。然ニ先日此地を上方に発る時ニ福田扇馬殿、印藤猪、萩野隣、羽仁常諸兄御出崎被成、土人の名を以御修行被成度御事ニ付、御やく束仕候所、不計此度の危難、又此度も上件の諸兄に御面会仕候所、諸君皆云、何分出崎の志が達度との御事ナリ。 夫で小弟が曰ク、私し出崎の上ハ此度の紀土の論がどふかた付申かも不被計、故に小弟が命も又不被計、されども国を開らくの道ハ、戦するものハ戦ひ、修行するものは修行し、商法ハ商法で名々かへり見ずやらねバ相不成事故、小弟出崎の上ハ諸生の稽古致す所だけハしておき候ま〃、御稽古ハでき候べしと申けれバ、諸君云、万一の時ハどふなりても宜しく候間との御事ニ候間、御聞取可被遣候。猶、御考可被遣候。私は諸君の出崎、戦国のさまハ此よふなものでもあろふかと存候てずいぶんおもしろふ存候。 別ニ申上候事在之候。梶山鼎介兄是ハ去年頃よりも御出崎の御事、小弟も御咄し合致し在之候。此人の論ハ兼而通常人の形斗西洋を学ぶ所でハこれなく、ほんとふに彼が学文道にいり、其上是非を論じ申度との御論、いやしくも論ぜざる所、小弟ニハ誠におもしろく奉存候。上件四人の兄たち御出しニ相成れバ、此人も御出わどふであろふと、私よりも希ふ所ニて御座候。稽拝首々。五月五日龍馬三慎大兄三吉慎蔵様左右直柔 |
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この度のお志の程、士官の者どもに申し聞かせたところ、一同涙を払いながらありがたいと思ってます。拝啓昨日お話したことですが、実に最大の幸せで、言葉をもってしてもどう感謝していいのかわからない。先日この地から京都へ向かう途中で、福田扇馬、印藤聿、萩野隣(野々村勘九郎)、羽仁(槙村正直)(いずれも長府藩士)の諸兄がお出ましになり(下関に立ち寄った)、土佐藩士の名前をもって海軍の訓練をしたいと言うのでその約束をしました。はからずもこの度の危難(船の事故)を上記4名にも面会して話したが、なにぶんにも志は高いとのことです。 しかし、私が長崎に行っている間は、紀州藩・土佐藩がどうのように片付くかもわからず、ゆえに私自身の命もどうなるかわからない。けれども国を開く道は、戦いをする者は海軍術、航海をする者は航海術、商法は商法で銘々省みず学ばなければならない。私が長崎にいる時でも諸生の訓練をする場所だけは用意しておきますので、訓練は出来るかと思いますが万が一の時はどうなるかわからないので宜しくご了承願いたい。その旨お考え下さい。 私は諸君の志を戦国の頃はこのようなものであろうかと思い、随分と面白いと思います。別に申し上げることがあります。梶山鼎介(長府藩士)は去年もお出でになり話し合ったことがあります。この人の話はかねてから通常のような西洋を学ぶのではなく、本当に彼が学者の道に入り、これについて議論したいと言い、気が向かぬが議論せざるを得なくなり、私にはまことに面白いことでした。上記4名の方々が長崎に来るのであれば、この人も来ればと思いました。私よりも珍しい方です。5月5日龍馬三吉慎蔵様 |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
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