森玄道・伊藤助太夫 宛
|
尚下の事件ハ三吉兄にも御申奉願候。一筆啓上益御勇壮大賀至極奉存候。扨時勢の事ハ一二、三吉兄の方に申上候間、御聞取可被遣候。扨此度使さし出候事ハ誠に小事件の可笑事ながら、又々御面遠を願奉るべしと希望仕候。其故ハ長崎の者小曽根英四郎と申売人、七月廿八日大坂の方より関に着船仕候。どふか其者ハ大坂町奉行より長崎健山奉行への手紙を懐中仕候よし、尤御召捕ニ相候はずの御事ニ候。然ニ彼者本ト悪心無之ものにて候。其故近日菅野覚兵衛が蒸気船より関に参り候間、くハ敷申上候。本ト此小曽根なるものハ長崎ニては長州御屋鋪御出入の家なり。又此頃乙丑丸の用達を薩より申付候内ニて、浪士等長崎ニ出てハ、此小曽根をかくれ家と致し居候ものも在之、既私らもひそみ居候事ニ候間、悪心無之事ハ是レヲ以御察可被遣候。然レ共、軍法として敵国ニ通じ候ものハ、先ヅ一ト先ヅ召捕とり正シ方仕候ハ当然の事ニ候得バ、此上疑相はれ候得バ、何卒御返の御周旋奉願候。且又猶ヲ嫌疑の筋も在之候得バ、其ま〃御止置□ま〃其筋御通書被下候よふ奉願候。然時ハ薩州人さし立テ御受取申、薩屋鋪ニ所置仕度、何卒よろしく奉願候。先ハ右斗早々万々稽首々百拝。八月十三日龍馬玄道様助太夫様近日私しも早々関と心がけ候うち、小倉早落城も敵がなくなりしかと思へバ、誠ニ残念ニて先、長崎ニ止りおり候。何レ近日、再拝々。 |
|
なお、以下のことは三吉慎蔵(長府藩士)にも申して下さい。一筆書かせて頂きます。さて、時勢のことは三吉慎蔵の方に申し上げてありますのでお聞きください。この度の手紙はまことに小さい事件なのですが、またまたご面倒をかけてしまいます。この人は、長崎の小曽根英四郎という商人で、7月28日大阪から下関に到着しました。この者は大阪町奉行から長崎奉宛への手紙をもっているので本来であれば捕縛するところだけれど、しかし、この人には本当に世話になっているのです。それゆえ、近日菅野覚兵衛(旧名は千屋寅之助 龍馬の妻お龍の妹を妻にしている)が蒸気船で下関へ来ることになっているので、その間に詳しく申し上げておきますね。この者は長崎では長州藩ご用達の商人です。浪士達(亀山社中)は乙丑丸(ユニオン号)の用事を薩摩藩から申し使っていて、長崎ではこの小曾根の家をかくれ家としています。すでに私らもここでやっかいになっているので、本当にこの者を宜しくお願い致します。軍法として敵国に通じたものはまず一番先に捕縛されるのが当然のことですが、この疑いがはれた際は、何とぞ捕縛せずお返し下さいませ。かつ、なおも他に嫌疑などがあれば、このままとどめ置いて下され。その時は薩摩藩の人を引き取りにいかせますので、薩摩屋敷に置いて頂くよう宜しくお願いします。まずは、このお話を早々に。8月13日龍馬近いうちに私も下関へ行こうかと思っていましたが、すでに小倉城も落城したとのこと、非常に残念です。(戦闘に参加出来ずに)なんれまた近いうちに。玄道様(森玄道:下関の町医者)助太夫様(伊藤助太夫:下関の豪商で報国隊員) |
坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。