内蔵太の母 宛

池内蔵太 宛

内蔵太の母 宛

原文
いさ〃か御心をやすめんとて、六月十六日に認候文。直陰龍馬よりも申上候。扨、蔵が一件ハ今朝廷のおぼしめしもつらぬかず、土州を初メ諸藩のとの様がた皆々国にかへり、蔵が心中にハ思よふ土州など世の中のあまりむつかしくなき時ハ、土佐のとの様を初、江戸でも京でも唯へら々と国家をうれへるの、すべつたのとやかましくい〃ひろき、当今に至りていよ々むつかしく相成てハ国本を見つくろふとか、かんとか名をつけにげて行、このごろ将軍さへ江戸へかへり候よふのつがふとなり、実に此神州と申義理も勢もなく、今上様をいづくの地へおくやらさらにがてんゆかず、実にはづべきことなり。此かずならぬ我々なりと、何とぞして今上様の御心をやすめたてまつらんとの事、御案内の通り朝廷というものハ国よりも父母よりも大事にせんならんというハきまりものなり。御親るいを始メ杉山さんなども、を国を後にし父母を見すて、妻子を見すてするハ大義にあたらずとの御事ならんそれハ々実当時のヘボクレ役人や、あるいハムチャクチャをやぢの我国ヒイキ我家ヒイキにて、男子としの咄にあらず。おまへがたを初、蔵がをくさんたちも長刀などふりくり廻しながら、ヘボクレ義論にどふいしてメソ々なきだしなどしてハ、実に蔵をはづかしめ候。龍ハ当時ハ病気にてけしてきづかハしき事なけれども、文などした〃め候ハ、誠にいやなれども鳥渡御咄申上候。此次にハ私があねにも文をやり申候。このごろまことにめづらしき咄しが、たくさんあり申候。弘井岩之助のかたきうち〇二条殿内の人にて、宮中につかハれこれありしむすめ、実に義のあるむすめにて、今でハ身をくがいにしづめこれある事。〇龍がある山中にて女が人にすてられてまよいいたるを、金をあたへ老人をもつておくりつかハしたる事など、其外色々御咄後より申上候。龍拝池蔵尊母

それはそれは当時のヘボクレ役人や、あるいはムチャクチャ親父の我が国ひいきや、我が家ひいきなどは、男子として行うべきことではない。貴方がたをはじめ、奥さん達も内蔵太の長刀など振り回しながら、ヘボクレ議論に同意してメソメソと泣きだしたりしては実に内蔵太を辱めることになります。私は当時は病気でしたが、事の成り行きが気にかかるので、手紙などをしたためるのは本当は嫌なことだけど、ちょっとお話申し上げます。この手紙の次は、私の姉にも手紙を書きました。最近はまとこに不快なことがたくさんあります。広井磐之助のかたき討ちはなりました。また、二条殿内(公家二条家)の人で、宮中に仕える娘は実に義のある娘で今では自身の身を(苦界)無限の苦しみにおいています。女が山中で人に捨てられて迷っているのを、私がお金を与えて老人に付き添わせて送った事など、この他にも色々と嫌なことがたくさんあります。※広井磐之助土佐国土佐郡小高坂村出身。父の仇である棚橋三郎を討つために、17歳の時から、各地を流転していた。文久3年、龍馬にすすめられて勝海舟の門下に入り、海舟の協力も得て、紀州加太の砲台工事の人夫の中に棚橋を発見、紀州藩の役人により「松兵衛」こと棚橋を捕え、紀伊と和泉の国境、境橋で千屋寅之助と新宮馬之助の立会いのもとで本会を遂げた。 しかし長年の流浪生活がたたってか、慶応2年に病死した。享年27歳。

現代文
少々お心を配慮致しまして6月16日に書かせて頂きました。直陰(龍馬の名前)龍馬より書かせて頂きます。さて、内蔵太(龍馬の同郷の同志)の一件ですが、今、朝廷のお考えを考慮せず、土佐をはじめ諸藩の殿様がみんな国へ帰りました。内蔵太が考えていることは、土佐藩などは世の中が平穏な時は、殿様を始めとして、江戸でも京都でもただへらへらと国を憂うだの、すべったのとやかましく言うくせに、いざ難しい世の中になると、国元を見つくろう(藩の政策の為)とか、なんやかんやと言い訳を言っている。この頃では将軍さへ江戸へ帰りました。このような都合となり、実に神の国(神州)という言われも義理も、勢いもなく、今上様(孝明天皇)をどこの地へ移そうかなどと、さらに合点がゆかず、実に恥ずかしいことです。大した数にもならない我々なりとも、上様(孝明天皇)の心をやすめて差し上げることです。ご案内の通り、朝廷というものは国(土佐藩)よりも父母よりも大事にしないといけないというきまりなのです。ご親類をはじめ、杉山さん(不明)なども、国を後にし、父母を見捨て、妻子を見捨てることは大義のためなのです。

それハ々実当時のヘボクレ役人や、あるいハムチャクチャをやぢの我国ヒイキ我家ヒイキにて、男子としの咄にあらず。おまへがたを初、蔵がをくさんたちも長刀などふりくり廻しながら、ヘボクレ義論にどふいしてメソ々なきだしなどしてハ、実に蔵をはづかしめ候。龍ハ当時ハ病気にてけしてきづかハしき事なけれども、文などした〃め候ハ、誠にいやなれども鳥渡御咄申上候。此次にハ私があねにも文をやり申候。このごろまことにめづらしき咄しが、たくさんあり申候。弘井岩之助のかたきうち〇二条殿内の人にて、宮中につかハれこれありしむすめ、実に義のあるむすめにて、今でハ身をくがいにしづめこれある事。〇龍がある山中にて女が人にすてられてまよいいたるを、金をあたへ老人をもつておくりつかハしたる事など、其外色々御咄後より申上候。龍拝池蔵尊母

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

坂本八平(父)宛(最古の手紙)
相良屋源之助 宛
坂本乙女 宛
住谷寅之助・大胡聿蔵 宛
清井権二郎 宛
平井かほ 宛(龍馬初恋の人への手紙)
田中良助 宛(借金借用の手紙)
坂本乙女 宛(脱藩後初の手紙)
坂本乙女 宛(エヘンの手紙その一)
内蔵太の母 宛
坂本乙女 宛(日本の洗濯)
村田巳三郎宛
坂本乙女 宛(姉乙女に千葉佐那を紹介)
川原塚茂太郎 宛(坂本家の養子縁組依頼)
坂本乙女・春猪 宛(天誅組の蜂起失敗をあわれむ)
坂本乙女 宛
勝海舟 宛(黒龍丸のこと)
渋谷彦介 宛
池内蔵太宛
坂本乙女 宛
坂本権平・乙女・おやべ(春猪) 宛(桂小五郎なるものあり)
乙女・おやべ(春猪) 宛
池内蔵太家族 宛
坂本乙女 宛
坂本乙女 宛
池内蔵太 宛
印藤聿 宛
印藤聿 宛
岩下佐次右衛門・吉井友実 宛
印藤聿 宛
池内蔵太家族 宛
印藤聿 宛
木戸孝允 宛
木戸孝允 宛
高松太郎 宛
幕府要人 宛
佐井虎次郎 宛
お龍 宛
品川省吾 宛
坂本乙女 宛
桂小五郎 宛
桂小五郎 宛
三吉慎蔵 宛
森玄道・伊藤助太夫 宛
森玄道・伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
渡辺昇 宛
吉井友実 宛
坂本春猪 宛
溝渕広之丞 宛
溝渕広之丞 宛
寺田屋お登勢 宛
坂本権平・一同 宛
坂本権平 宛
坂本乙女 宛
桂小五郎 宛
伊藤助太夫 宛
桂小五郎 宛
久保松太郎 宛
伊藤助太夫 宛
春猪(姪) 宛
坂本乙女(姉) 宛
お登勢 宛
お登勢 宛
桂小五郎 宛
河田佐久馬 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
印藤聿 宛
三吉慎蔵 宛
坂本春猪(姪) 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助大夫 宛
坂本乙女(姉) 宛
坂本乙女(姉) 宛
お登勢 宛
菅野覚兵衛・高松太郎 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
長岡謙吉 宛
寺田屋伊助 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
高柳楠之助 宛
高柳楠之助 宛
お龍(妻) 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
小谷耕蔵・渡辺剛八 宛
伊藤助太夫 宛
桂小五郎 宛
乙女・おやべ(姉 姪) 宛
坂本権平(兄) 宛
望月清平 宛
高松太郎(甥) 宛
お登勢 宛
長岡謙吉 宛
坂本権平(兄) 宛
三吉慎蔵 宛
陸奥宗光 宛
岡内俊太郎 宛
岡内俊太郎 宛
岡内俊太郎 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
安岡金馬 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
長崎奉行 宛
陸奥宗光 宛
佐佐木高行 宛
桂小五郎 宛
渡辺弥久馬 宛
本山只一郎 宛
坂本権平(兄) 宛
後藤象二郎 宛
後藤象二郎 宛
後藤象二郎 宛
望月清平 宛
陸奥宗光 宛
岡本健三郎 宛
陸奥宗光 宛
林謙三 宛
順助(高松太郎変名) 宛
林謙三 宛
陸奥宗光 宛
坂本清次郎(坂本家養子) 宛

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