佐々木 高行 |
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出身 | 土佐藩 | ||
職名 |
佐々木高行は土佐藩士で土佐藩からの出先官である。
文政十三年、土佐国吾川郡瀬戸村(現・高知県高知市)に土佐藩上士・佐々木高順の次男として生まれる。
大監察時代は土佐勤王党とたびたび会談を持ち武市半平太と親交を深めた。(佐々木は上士でありながら尊王思想を持ち同門の武市に理解があった。)しかし、八月十八日の政変以後公武合体派が力を持ち佐幕派の山内容堂は土佐勤王党の弾圧を始めた為に佐々木は次第に勤王党と距離をとり始めた。
坂本龍馬との出会いは長崎で龍馬の亀山社中の経営不振に陥った時で土佐藩が援助することになった為、佐々木は海援隊を監督する立場で長崎に赴任する。また、坂本龍馬の紹介により長州藩の桂小五郎と面会したり中岡慎太郎の口利きで岩倉具視と協議したという。
龍馬と中岡の暗殺後、佐々木は一時的に海援隊を預かり戊辰戦争時、一部海援隊士を率いて長崎奉行所を占領するなど倒幕に尽力した。明治維新を迎えると佐々木は参議、司法大輔を務め明治四年に岩倉使節団の一員として欧米各国を視察した。
佐々木は明治天皇の信任が厚く天皇の意向によって参議兼工部卿に就任した。
明治四十二年に侯爵を拝命するが翌年、八十歳で病没する。佐々木高行は天皇親政派の政治家として薩長門閥政治を批判しながらも「薩長門閥派VS自由民権派」の対立による国内分裂を防ぐ為に調整役に務めた優れた政治家であった。
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