瓜生震 |
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出身 | 越前藩 | ||
職名 |
瓜生震は嘉永6年生まれの越前藩出身の海援隊士。
明治大正期の実業家。三菱財閥の経営者。越前国(福井県)の多部五郎左衛門の3男で分家して瓜生を名乗る。
長崎へ留学し坂本竜馬の海援隊を助ける。維新後は岩倉遣外使節団に随行して3年間外国に留まり帰国。鉄道寮を経て後藤象二郎の高島炭坑売炭課長、明治14(1881)年4月1日同坑の三菱譲渡後は引き続き高島炭坑長崎事務所支配人、三菱合資本社副支配人、営業部長。
41年大日本製糖の整理強化に当たる。高島炭坑時代の克明な『事務日誌』執筆にみられるように語学を生かした渉外で「三菱における唯一の事務家」といわれた。
輔仁会にも名を連ねた。
大正9年没。
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