由比 畦三郎 |
|||
出身 | 土佐藩 | ||
職名 |
由比畦三郎は海援隊と関係が深かった土佐藩士。土佐藩の藩船「夕顔」船上で坂本龍馬が船中八策を口述し長岡謙吉に書き取らせた時の船長がこの人。猪内の養子となっていたので由比畦三郎と称していた。
またイギリス東洋艦隊イカルス号の水兵2人が長崎で殺され、下手人の疑いが海援隊にかかったとき、須崎まで来た龍馬を夕顔船内にかくまっている。その後、開成館軍艦局の教授や局長を務めたあと明治に入って第7国立銀行の初代頭取、北光社第2代社長などを努めるが、この時(万延元年)は27歳であった。
また、長崎で海援隊士がイカロス号の水夫を殺害したとされる件で談判した時にも同行しました。ある意味佐々木高行と共に土佐藩から亀山社中への出向者に近いかと思われる。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。