竹中 与三郎 |
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出身 | 小村二茶屋村 | ||
職名 |
竹中与三郎は、神戸に隣接する小村二茶屋村の出身の海援隊士。
神戸海軍勝海舟塾時代から龍馬との交流が生まれ、その閉鎖後も交友をつづけた。
慶応二年龍馬が薩長提携運動のため上京した時、幕府の間者として龍馬に近づき、買収した橋本久太夫からえた情報を幕府へと報告、寺田屋襲撃後も龍馬の動静を報知するため薩摩まで同行しようとした。
その後、龍馬に感化され金銭面で社中・海援隊を援助し、太極丸の購入時には買主として名をつらねている。
龍馬没後、その仇討のため自ら天満屋への斬り込みを志願し参加。
手首を斬り落とされ、股部にも傷をおうなど満身創痍になりながらも奮戦した。
のちの消息については不明である。
ただし、維新後、ともに天満屋へ斬り込んだ加納宗七の事業を後援した旨が伝わっている。
(生没年不詳)
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