佐々木 栄 |
|||
出身 | 越前藩 | ||
職名 |
佐々木栄は越前藩出身の海援隊士である。
詳細は不明だが、慶応三年の夏頃に海援隊へ参加している。
慶応三年七月六日の夜更け、長崎丸山でイギリス軍艦イカルス号の乗り組み水夫二人が何者かに殺害される事件が発生した。
たまたま凶行当夜、海援隊士菅野覚兵衛と佐々木栄の両名が、現場付近の料亭に居たことが判明した。此の事を重要視した英国公使パークスが、此の事件を執拗に追及したのである。事件はやがて土佐藩を巻き込んだ、大事件に発展していくが、その後海援隊士二人のアリバイは成立し、結局犯人は判明せず、九月十日になって漸く海援隊の嫌疑は晴れた。
その後、真犯人は筑前福岡藩士の金子才吉であることがわかり、しかも当人は事件の当夜惨殺の後すでに自殺していたことが判明し、佐々木栄を巻き込んだイカルス号事件は解決した。
佐々木栄は龍馬の死後の慶応四年一月、海援隊による長崎奉行所占拠にも参加し活躍するが、その後の消息については資料が少ない。
生没年月不詳。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
佐々木高行にも似ている…。