野村 辰太郎 |
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出身 | 土佐藩 | ||
職名 |
土佐国土佐郡小高坂村の出身で土佐藩士、白札格の野村亀四郎の長男である。
野村家は代々砲術を得意とする家柄で万延元年父・亀四郎に従い江戸に出て、江川太郎左衛門の門に入り新式砲術を学ぶ。
元治元年藩船南海丸に乗り込み長崎に渡航し、長崎の何礼之塾で英語を修業中に坂本龍馬と知遇を得る。慶応2年脱藩して亀山社中に参加した。同年六月亀山社中が購入した大極丸に、白峰駿馬と共に、船長として乗り組む。
龍馬の死後、慶応4年海援隊による長崎奉行所の占拠に参加した。また、薩摩藩士を誤殺し責を負うて切腹した沢村惣之丞の最期に立ち会ったりもした。海援隊解散後、長崎振遠隊の幹部として戊辰戦争に従軍し、奥羽鎮撫総督府の参謀添役を勤め、奥羽方面で戦功を挙げる。
維新後は新政府に出仕し、佐賀縣権参事・参事や茨城縣権令・縣令を勤めたのち司法官に転じ、宮城・東京・大阪・函舘などの控訴院検事を歴任。控訴院検事長にまで進む。
明治36年死亡、享年六十歳。男爵を授けられる。
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