腰越 次郎(野村幸次郎) |
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出身 | 越前藩 | ||
職名 |
腰越次郎は越前藩出身で変名を野村幸次郎。
亀山社中が設立される比較的早い時期から参加していたものと推測される。元来が機関方の専門家で、幕府所有の洋式船の乗組員だった。
故あって幕府の支配下から脱し亀山社中に参加したもの伊予大洲藩が新たに購入した「イロハ丸」の運用指導を兼ね、橋本久太夫、菅野覚兵衛等と共に派遣されている。
腰越次郎は血気盛んな男だったらしく「伊呂波丸」と紀州藩船「明光丸」との衝突沈没の際は相手の船によじ登り、談判に及んでいる。脱隊を決意し切り込みを企てる程の意気込みだったらしいが、結果的には坂本龍馬に制止されて断念した。
維新後の消息は不明で、没年、墓所も不詳である。
※写真がない隊士は幕末に関連する画像を差し込んであります。
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