黒木小太郎 |
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出身 | 鳥取藩 | ||
職名 |
黒木小太郎は因幡藩(鳥取)出身の海援隊士。
剣の達人だったと言われており、鳥取藩の剣道師範だった千葉重太郎に学んだ。
特に、真剣でも平常の稽古と同様に、平然とした剣裁きを見せ、その胆力を坂本龍馬が高く買って、兄権平や家族宛の手紙に書き送っている。
文久三年一月頃、後に亀山社中で同僚となる高松太郎、千屋寅之助等と相前後して勝海舟に師事し、坂本龍馬等と共に航海術の修業に打ち込んだ。その後、勝海舟の突然の失脚により、勉学の場と住居を一挙に失い、坂本龍馬等と行動を共にした。
慶応元年閏五月に発足した亀山社中に参加し、中堅幹部として活躍するが、亀山社中所有の洋型帆船ワイルウェフ号の船将として乗り組み航行中の、慶応二年五月二日の早朝、五島列島の中通島潮合崎沖で嵐のために難破し、副将の池内蔵太等十一名と共に、海の藻屑と消え一命を落とした。
年齢不詳。
※写真がない隊士は幕末に関連する画像を差し込んであります。
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