坂本乙女(姉) 宛

坂本乙女宛の手紙

坂本乙女(姉) 宛

原文

おとめさんにさし上る。兼而申上妻龍女ハ、望月亀弥太が戦死の時のなんにもあい候もの、又御国より出候もの此家ニて大ニセ話ニなり候所、此家も国家をうれへ候より家をほろこし候也。老母一人、龍女、いもと両人、男の子一人、かつへ々ニて、どふもきのどくニて、龍女と十二歳ニなる妹と九ツニなる男子をもらい候て、十二歳の妹名きみへ、男子太一郎ハ摂州神戸海軍所の勝安房ニ頼ミたり。龍女事ハ伏見寺田や家内おとせニ頼ミ候。─是ハ学文ある女尤人物也。─今年正月廿三日夜のなんにあいし時も、此龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり。京のやしきニ引取て後ハ小松、西郷などにも申、私妻と為知候。此よし兄上ニも御申可被遣候。御申上なれバ、京師柳馬場三条下ル所、楢崎将作─死後五年トナル。此所にすミしが、国家のなんとともニ家ハほろびあとなくなりしなり。─右妻存命私妻ハ則、将作女也。今年廿六歳、父母の付たる名龍、私が又鞆トあらたむ。─正月廿三日ののちナリ。─京の屋鋪ニおる内、二月末ニもなれバ嵐山にあそぶ人々、なぐさみにとて桜の花もて来り候。中ニも中路某の老母─神道学者奇人也─ハ実おもしろき人也。

和歌などよくで来候。此人共私しの咄しおもしろがり、妻をあいして度々遣(つかひ)をおこす。此人ハ曽て中川宮の姦謀を怒り、これおさし殺さんとはかりし人也。本、禁中ニ奉行しておれバ、右よふの事ニハ、尤遣所お〃き人ナリ。公卿方など不知者なし。是より三日大坂ニ下り、四日に蒸気船ニ両人共ニのり込ミ、長崎ニ九日ニ来り十日ニ鹿児島ニ至リ、此時京留居吉井幸輔もどふゞニて、船中ものがたりもありしより、又温泉ニともにあそバんとて、吉井がさそいにて又両りづれにて霧島山の方へ行道にて日当山の温泉ニ止マリ、又しおひたしと云温泉に行。此ハもお大隅(おおすみ)の国ニて和気清麻呂がいおりおむすびし所、蔭見の滝其滝の布ハ五十間も落て、中程にハ少しもさわりなし。実此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき所ナリ。此所に十日計も止りあそび、谷川の流にてうお〃つり、短筒をもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかりし。

是より又山深く入りてきりしまの温泉に行、此所より又山上ニのぼり、あまのさかほを見んとて、妻と両人づれニてはるゞのぼりしニ、立花氏の西遊記ほどニハなけれども、どふも道ひどく、女の足ニハむつかしかりけれども、とふ々馬のせこへまでよぢのぼり、此所にひとやすみして、又はるゞとのぼり、ついにいたゞきにのぼり、かの天のさかほこを見たり。其形ハ─是ハたしかに天狗の面ナリ。両方共ニ其顔がつくり付てある。からかね也。──まむきに見た所也。─やれ々とこしおた〃いて、はるバるのぼりしニ、かよふなるおもいもよらぬ天狗の面があり─げにおかしきかをつきにて─、大ニ二人りが笑たり。此所に来れバ実ニ高山なれバ目のとゞくだけハ見へ渡り、おもしろかりけれども何分四月でハまださむく、風ハ吹ものから、そろ々とくだりしなり。なる程きり島つ〃じが一面にはへて実つくり立し如くきれいなり。

其山の大形ハ、─此サカホコハ少シうごかして見たれバよくうごくものなり又あまりにも両方へはなが高く候まま両人が両方よりはなおさへてエイヤと引ぬき候時ハわずか四五尺斗のものニて候間又々本の通りおさめたりサカホコあらがねにてこしらへたものなり此所ニきり島ツ〃ジヲビタゞシクアル此穴ハ火山のあとなり渡り三町斗アリすり鉢の如く下お見るニおそろしきよふなりイ此間ハ山坂焼石斗男子でものぼりかねるほどきじなることたとへなしやけ土さら々すこしなきそうになる五丁ものぼれバはきものがきれるロハ此間彼ノ馬のせごへなりなるほど左右目のをよバぬほど下がかすんでおるあまりあぶなく手おひき行くニ此間ハ大きニ心やすくすべりてもおちる所なし─霧島山より下り、きり島の社にまいりしが是は実大きなる杉の木があり、宮もものふり極とふとかりし。其所ニて一宿、夫より霧島の温泉の所ニ至ルニ、吉井幸輔もまちており、ともゞにかへり、四月十二日ニ鹿児島ニかへりたり。 夫より六月四日より桜島と言、蒸気船ニて長州へ使を頼まれ、出船ス。

此時妻ハ長崎へ月琴の稽古ニ行たいとて同船したり。夫より長崎のしるべの所に頼ミて、私ハ長州ニ行けバはからず別紙の通り軍をたのまれ、一戦争するに、うんよく打勝、身もつ〃がなかりし。其時ハ長州侯ニもお目にか〃り色々御咄しあり、らしやの西洋衣の地など送られ、夫より国ニかへり、其よしを申上げて二度長崎へ出たりし時ハ、八月十五日ナリ。世の中の事ハ月と雲、実ニどフなるものやらしらず、おかしきものなり。うちにおりてみそよたきゞよ、年のくれハ米うけとりよなどよりハ、天下のセ話ハ実ニおふざツパいなるものニて、命さへすてれバおもしろき事なり。是から又春になれバ妻ハ鹿児島につれかへりて、又京師の戦はじまらんと思へバ、あの方へも事ニより出かけて見よふかとも思ひよります。私し其内ニも安心なる事ハ、西郷吉之助の家内も吉之助も、大ニ心のよい人なれバ此方へ妻などハ頼めバ、何もきづかいなし。

此西郷と云人ハ七年の間、島ながしニあふた人にて候。夫と言も病のよふニ京の事がきになり、先年初て「アメリカ」ヘルリ」が江戸ニ来りし頃ハ、薩州先ン候の内命ニて水戸に行、藤田虎之助の方ニおり、其後又其殿様が死なれてより、朝廷おうれい候ものハ殺され、島ながしニあふ所に、其西郷ハ島流の上ニ其地ニてろふニ入てありしよし、近頃鹿児島にイギリスが来て戦がありてより国中一同、彼西郷吉之助を恋しがり候て、とふ々引出し今ハ政をあづかり、国の進退此人にあらざれバ一日もならぬよふなりたり。人と言ものハ短気してめつたニ死ぬものでなし。又人おころすものでなしと、人々申あへり。まだ色々申上度事計なれども、いくらかいてもとてもつき不申、まあ鳥渡した事さへ、此よふ長くなりますわ。かしこ々。極月四日夜認龍馬乙様

現代文

乙女姉さんへかねてからお話の、妻お龍は望月亀弥太(池田屋で新選組より惨殺)が戦死の時の難にもあい、また、国から出てきた者どももこの家に本当にお世話になっていまして、この家の人々は国家を憂いている家でございます。老婆一人、お龍、妹2人、男の子一人、貧困の極みにてどうも気の毒に思い、お龍と12歳になる妹と9歳になる男の子を預かり、12歳の妹きみへと男の子の太一郎は神戸海軍所の勝先生に頼みました。お龍のことは伏見寺田屋の女将お登勢さに頼みました。(この人は学問がある女性です)今年の正月23日の夜に遭難した時も、このお龍がいたからこそ、龍馬の命は助かりました。京都の屋敷に引き移ってからは小松、西郷などにも私の妻だと知らせました。こ上、二人ともとても喜んでくれました。

詳しく話せば、京都柳馬場三条下ルに楢崎将作(5年前に死亡)どころに住んでいたが、国家の難(安政の大獄)と共に家が滅んでしまいました。私の妻はすなわちこの将作の娘です。今年26歳、父母のつけた名前は龍、その後私が鞆(トモ)と改めました。正月23日の後のことです。京都の屋敷にいるうち、2月の末にもなれば嵐山で遊ぶ人々がいて、桜の花も咲いていた。なかでも中路某(中路なにがし:名前が不明の時に使う)の老母が神道学者で奇人のような人です。実におもしろい人です。和歌などもよく出来る人です。この人は私の話を面白がり、妻を愛して下さり度々文を下さる。この人はかつて、中川ノ宮の姦謀を怒り、中川ノ宮を刺し殺そうとしたことがある。もっとも禁裏内で奉公していれば、右のようなことを起こしていたような大きな人である。公卿などに知識のある人はいない。これより3日後に大阪にくだり、4日に蒸気船に二人で乗り込み、長崎に9日に到着し、10日に鹿児島へ着いた。京都留守居役の吉井幸輔も同行して、船中色々な話をした。また、温泉にも行こうと吉井が誘って、妻ともども二人連れで霧島山の方へ行き、日当山の温泉に泊まり、塩浸温泉に行った。

ここは大隅の国の和気清麻呂(平安時代初期の貴族)が庵を結んでいたところで、犬飼滝の瀑風は五十間も落ちて、中々触れない。実にこの世の外かと思われるほどの珍しいところでした。この場所に10日くらいも泊まって遊び、谷川の流れで魚釣りをしたり、ピストルで鳥を撃ったり、まことに面白かった。ここよりまたさらに山奥へ入って、霧島温泉に行き、さらに山を登り、天逆鉾(あまのさかほこは日本の中世神話に登場する矛)を見ようと、妻とはるばる登ったが、橘南谿(江戸時代の医者で執筆に西遊記・東遊記がある)の西遊記ほどではないにせよ、道はひどく、女の足には難しいけど、とうとう馬の背越え(高千穂峰に至る途中)までよじ登り、ここで一休みし、また、はるばる登り、ついに頂きに登り、天逆鉾を見ました。この形は、確かに天狗のお面のようで、両面にこの顔が付いてある。唐金(青銅のこと)なり。※真正面からみた図(イラスト付)やれやれと腰をたたいて、はるばる登ってきたのを、このように思いもよらぬ天狗のお面があって本当におかしい顔つきで二人で爆笑した。

ここは本当に高い山だけど、目に届く限りは見渡せて、面白くはあるけれどもなにぶんにも4月はまだ肌寒く、風も吹くものだからそろそろ山を下った次第です。なる程、霧島はつつじが一面に生えていて、花を咲かせていて実に綺麗でした。おおかたは、こんな感じで逆鉾を少し動かしてみたけれども意外とよく動いた。両方の鼻が高く、両人が両方から鼻を持って、エイヤ!と引き抜いた時は、わずか四・五尺ほどは抜けたが、またまた元の通りにおさまった。(イラスト説明)サカホコは粗金(精錬しない金属)で拵えたものです。この霧島のつづじは美しい。この穴は火山のあとで三町ほどもある。下を見るとすり鉢のように恐ろしい。イ:この間は山の坂で焼石です。男でも登りかねるほどでキジでもなければ登れない焼けた土はサラサラで少し泣きそうになる五丁も登れば履物が切れるロ:ハ:ここは例の馬の背越えです。なるほど左右の目が見えないほど下が霞んで見えるあまりに危ないので手を引いて行くニ:ここは本当に安心出来る場所で仮に滑っても落ちるところもない霧島山からの下りに、霧島の杜にお参りしに行ったがここは実に大きな杉の木があって、歴史を感じさせる宮が立派な雰囲気でした。

ここで一泊して、霧島の温泉の場所へ行き、吉井幸輔も持っていたので一緒に帰り4月12日に鹿児島へ帰った。そして、6月4日から桜島丸(ユニオン号)という蒸気船で長州へ使いを頼まれて出航しました。この時妻は長崎で月琴の稽古をしたいと言い、同船しました。そして、長崎の知り合いのところに頼みました。私が長州へ行けば必ず別紙の通り戦争の援助を頼まれるのは明らかで、必ず一戦することになるので運よく打ち勝っても無事ですむかは分からない。この時は長州の殿様にもお目にかかり、色々とお話して、羅紗(ラシャ)の西洋服の生地などを送られた。そして、薩摩へ帰って色々と報告してから再度長崎へ行き、着いた時は8月15日になります。世の中のことは月と雲のように、実にどうなるものかわからず、おかしなものである。うちにいて、味噌だの、薪(たきぎ)だの、年の暮れはお米の受取だの、よりは、天下のお世話は実に大雑把なるもので、命さへ捨てればおもしろいことです。

これからまた春になれば妻は鹿児島へ連れて帰り、京都の戦が始まると思うので事と次第によっては京都へ出かけることになるかと思います。妻は西郷吉之助の家に頼みたいと思います。吉之助もその妻も実にいいい人なので何も心配はしていません。この西郷という人は、7年間も島流しにあった人です。それというのも、病気のように京都のことが気になり、先年初めてペリーが江戸に着た頃には、薩摩先候(島津斉彬)は内命にて水戸へ行き、藤田東湖の元にいました。その後、殿様が死なれて、朝廷を憂いていた者どもは殺され(安政の大獄)、島流しに合い牢に入れられた。その後、鹿児島にイギリスが来て戦になった(薩英戦争)時に、国中一同があの西郷吉之助を戻せと言ったので、引き出されて今のように政治を任されている。

国の進退はこの人がいないと先へ進まないようになっている。人と言うものは、短気を起こしても滅多に死ぬものではない。また、人を殺すものではないと、人々へ言っている。まだ、色々とお話したいことはあるけれども、いくら書いてもとても尽きることがないので、ちょっとしたことでさえ、このような長い手紙になりますわ。12月4日夜にしたためる龍馬より乙女姉さんへ

坂本龍馬の手紙139通(現代翻訳文)一覧

坂本八平(父)宛(最古の手紙)
相良屋源之助 宛
坂本乙女 宛
住谷寅之助・大胡聿蔵 宛
清井権二郎 宛
平井かほ 宛(龍馬初恋の人への手紙)
田中良助 宛(借金借用の手紙)
坂本乙女 宛(脱藩後初の手紙)
坂本乙女 宛(エヘンの手紙その一)
内蔵太の母 宛
坂本乙女 宛(日本の洗濯)
村田巳三郎宛
坂本乙女 宛(姉乙女に千葉佐那を紹介)
川原塚茂太郎 宛(坂本家の養子縁組依頼)
坂本乙女・春猪 宛(天誅組の蜂起失敗をあわれむ)
坂本乙女 宛
勝海舟 宛(黒龍丸のこと)
渋谷彦介 宛
池内蔵太宛
坂本乙女 宛
坂本権平・乙女・おやべ(春猪) 宛(桂小五郎なるものあり)
乙女・おやべ(春猪) 宛
池内蔵太家族 宛
坂本乙女 宛
坂本乙女 宛
池内蔵太 宛
印藤聿 宛
印藤聿 宛
岩下佐次右衛門・吉井友実 宛
印藤聿 宛
池内蔵太家族 宛
印藤聿 宛
木戸孝允 宛
木戸孝允 宛
高松太郎 宛
幕府要人 宛
佐井虎次郎 宛
お龍 宛
品川省吾 宛
坂本乙女 宛
桂小五郎 宛
桂小五郎 宛
三吉慎蔵 宛
森玄道・伊藤助太夫 宛
森玄道・伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
渡辺昇 宛
吉井友実 宛
坂本春猪 宛
溝渕広之丞 宛
溝渕広之丞 宛
寺田屋お登勢 宛
坂本権平・一同 宛
坂本権平 宛
坂本乙女 宛
桂小五郎 宛
伊藤助太夫 宛
桂小五郎 宛
久保松太郎 宛
伊藤助太夫 宛
春猪(姪) 宛
坂本乙女(姉) 宛
お登勢 宛
お登勢 宛
桂小五郎 宛
河田佐久馬 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
印藤聿 宛
三吉慎蔵 宛
坂本春猪(姪) 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助大夫 宛
坂本乙女(姉) 宛
坂本乙女(姉) 宛
お登勢 宛
菅野覚兵衛・高松太郎 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
三吉慎蔵 宛
長岡謙吉 宛
寺田屋伊助 宛
三吉慎蔵 宛
伊藤助太夫 宛
高柳楠之助 宛
高柳楠之助 宛
お龍(妻) 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
伊藤助太夫 宛
小谷耕蔵・渡辺剛八 宛
伊藤助太夫 宛
桂小五郎 宛
乙女・おやべ(姉 姪) 宛
坂本権平(兄) 宛
望月清平 宛
高松太郎(甥) 宛
お登勢 宛
長岡謙吉 宛
坂本権平(兄) 宛
三吉慎蔵 宛
陸奥宗光 宛
岡内俊太郎 宛
岡内俊太郎 宛
岡内俊太郎 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
安岡金馬 宛
佐佐木高行 宛
佐佐木高行 宛
長崎奉行 宛
陸奥宗光 宛
佐佐木高行 宛
桂小五郎 宛
渡辺弥久馬 宛
本山只一郎 宛
坂本権平(兄) 宛
後藤象二郎 宛
後藤象二郎 宛
後藤象二郎 宛
望月清平 宛
陸奥宗光 宛
岡本健三郎 宛
陸奥宗光 宛
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順助(高松太郎変名) 宛
林謙三 宛
陸奥宗光 宛
坂本清次郎(坂本家養子) 宛

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