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【城名】
二条城
【二条城の説明】
二条城は山城国(京都府京都市)にある国指定の史跡である。また「世界文化遺産」にも選定されている貴重な文化的建造物である。現在の二条城は徳川時代に建立されたもので、過去に二条城と名が付いた建造物は少なくとも5つある。
1、足利義輝二条城
2、足利義昭二条城
3、誠仁親王二条御所
4、豊臣家時代二条城
5、徳川家時代二条城
なお、足利将軍家や親王のために立された二条城は「二条御所」と呼ばれていた。徳川時代の二条城は家康が京都滞在のための宿舎として慶長6年(1601年)に築城を開始した。以後、徳川家の上洛時の宿舎として利用された。将軍不在時は二条城代が置かれ老中格や大身の旗本などがこの職に就いた。
幕末になると外国からの圧力(国交・開国問題)や国内雄藩の台頭により、政権維持が困難と考えた徳川慶喜が二条城内にて「大政奉還」を行った。将軍家自らが政権を「朝廷」へ返上するという歴史的事件であった。徳川慶喜はこの政権返上により、薩摩・長州・土佐藩からなる西国雄藩による徳川家武力行使をかわそうと考えたが広大な領地や大きな軍事兵力を抱える徳川家をこのままにしておくことはなかった。
結局否応にも戦火を交えざるをえなくなり、鳥羽伏見の戦いが勃発。新式近代兵器を多く持つ西国雄藩に徳川家は各地で敗れ、ついに慶喜は謹慎処分となり天皇親政体制を敷く「明治政府」が誕生する。一方二条城は本丸が幾多の火災により焼失し二の丸御殿が残り、京都の観光名所となっている。また二条城は「日本100名城53番」にも選定されている。
【二条城・場所・アクセス】
〒604-8301 京都府京都市中京区二条城町541
【二条城地図】
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