【城名】
蕨城
【城の説明】
蕨城は南北朝時代に足利氏一門の「渋川義行」によって築かれたと言われている。渋川義行は室町幕府の重職を担い武蔵国司として「蕨城」を本拠としていた。
義行の曾孫「渋川義鏡」は室町幕府第8代将軍「足利義政」によって古河公方を牽制するために関東探題に任ぜられたが、古河公方「足利成氏」に敗れて講和を結びその配下となっている。
戦国時代になると「渋川義堯」は北条氏に従うようになる。大永6年(1526年)に蕨城は扇谷「上杉朝興」に攻め落とされるが、その後北条氏の力添えによって奪回している。
永禄10年(1567年)には「渋川義基」が北条氏に従い、安房の里見義弘と上総「三船山」で合戦に及ぶがこの戦で討死してしまった。
一族や郎党らは帰農し「蕨城」は廃城となったが、その後関東へ入国してきた徳川家康が荒廃した蕨城を鷹狩御殿として利用している。 現在は蕨城址公園となっており石碑や水堀跡が残っている。
※日露戦争戦没者追悼の石碑も建っている
【蕨城・場所・アクセス】
埼玉県蕨市中央4-21
【蕨城地図】
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