玖島城(大村城):大村喜前(大村純忠の嫡男)が築城した大村藩2万7千石の居城 玖島城(大村城)【お城特集 日本の歴史】

玖島城:大村喜前(大村純忠の嫡男)が築城した大村藩2万7千石の居城 玖島城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
玖島城(大村城)

【玖島城の説明】
玖島城(大村城は長崎県大村市玖島にあった大村氏の居城である。読み方は「くしまじょう」と呼ばれている。大村氏は「藤原純友」を祖とし、鎌倉時代よりこの地の豪族として大村地方を所領してきた。

天正15年(1587年)この時の領主であった大村喜前(おおむらよしあき)は豊臣秀吉の九州征伐の際に、秀吉軍に参陣し領土を安堵された。喜前はキリシタン大名であったが、秀吉の圧力に屈して改宗した。

慶長3年(1598年)秀吉死後、大村氏は天下の政情不安に備えて「玖島城」の築城に着手した。この城は大村湾に突き出した半島に築城された平山城で天守は建造されなかった。慶長4年(1599年)には城が完成し、喜前は三城城から玖島城に居城を移す。

玖島城:大村喜前(大村純忠の嫡男)が築城した大村藩2万7千石の居城 玖島城【お城特集 日本の歴史】

慶長19年(1614年)には大村純頼によって城の拡張・改修が行われ、この時「加藤清正」から設計の指導を受けたと言われている。その加藤清正による指導を受けてか、現在でもその美しい扇の勾配をもつ石垣が見られる。

大村家は江戸時代も大村藩「2万7000石」として明治維新まで存続し、玖島城は大村藩の藩庁としての役割を果たした。明治4年(1871年)玖島城は廃城となり、建造物は破却された。しかし、明治17年(1884年)になると本丸跡に大村氏歴代城主を祀る大村神社が建立された。

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玖島城は石垣が現存し、平成4年(1992年)には板敷櫓が再建されている。本丸跡は大村神社の境内となっており、築城者である「大村喜前」の遺徳碑や最後の藩主となった「大村純熈」の像がある。また、平成4年(1992年)には板敷櫓が再建されている。

現在は大村公園として整備されている。






【玖島城・場所・アクセス】
〒 856-0834 長崎県大村市玖島1

【玖島城地図】



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