【城名】
蟹江城
【城の説明】
蟹江城は現在の愛知県海部郡蟹江町にあった中世の平城である。永享年間に北条時任が城を築いたのがはじめと言われ、戦国時代には、本丸、二ノ丸、三ノ丸の三郭があり、大野、下市場、前田の三つの支城があった。
弘治元年(1555年)今川方の松平広忠(徳川家康の父)によって攻略され、その後も長島城主「服部友貞」と共に織田氏とは対立の立場をとる。永禄10年(1567年)織田家の滝川一益によって寂れていた蟹江城は再構築され、その後の北伊勢進攻や長島一向一揆鎮圧の拠点となる。長島城主の服部友貞はこの地を拠点とした一益によって放逐されてしまい、長島城も一益のものとなる。
天正11年(1583年)一益は「賤ヶ岳の戦い」の後に羽柴秀吉に敗れ、織田信雄の家臣、佐久間正勝が城主となる。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いにおける「蟹江城合戦」では秀吉方となった一益に攻略されるも、その後、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲され、籠城戦の末、半月後に落城した。
天正13年(1585年)蟹江城は天正地震により壊滅した。現在は住宅地に城址の石碑と本丸にあった井戸跡が残るのみである。
【蟹江城・場所・アクセス】
愛知県蟹江町城1
【蟹江城地図】
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