- お城・城跡, 北海道・東北, 戦国時代, 日本100名城
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【城名】
山形城
【城の説明】
山形城は山形県山形市霞城町にあった城である。別名で「霞城」「霞ヶ城」とも呼ばれており、国の史跡に指定されている。基礎的な部分は「最上義光」の時代につくられ、鳥居忠政が藩主の時代に現在の形に整えられたものである。
延文元年(1356年)に「斯波兼頼」が羽州探題として山形に入部し、1357年頃に初期の山形城が築城される。当初山形城は最上屋形と称しており、この頃から斯波兼頼は最上姓を名乗るようになる。
戦国時代に入ると「最上義光」が、慶長年間に城郭を拡大し、城下町を整備した。義光は外交・戦など様々な面で能力があり、出羽統一を目指して戦を続けた。その結果、天童家・山上家・寒河江家・小野寺家・大宝寺家などを次々と滅ぼしついに出羽統一を果たす。
義光は関ヶ原の戦いでは徳川型につき、その戦功で出羽57万石を配領する。しかし、義光の死後、孫に当たる「義俊」の代に最上氏がお家騒動で改易となり徳川家の重臣「鳥居忠政」が入封した。
鳥居氏以後、たびたび藩主が代わり、改修もなされたが、山形藩を治める藩の石高も減少したため、江戸中期以降は城の維持が困難になる。現在は、城郭のほとんどが失われ、二ノ丸跡が霞城公園として整備されている。
【山形城・場所・アクセス】
山形県山形市霞城町1-1
【山形城地図】
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