【城名】
要害山城
【要害山城の説明】
要害山城は、山梨県甲府市上積翠寺町にあった山城で「躑躅ヶ崎館(武田氏館跡)」の詰城として築かれた城である。今川氏の武将「福島正成」が甲斐へ侵攻した際に、信虎は正室の大井夫人を「要害山城」へ避難させ福島勢を撃退したが、夫人はその最中に城中で嫡子「武田晴信(信玄)」を出産したと言われている。
信玄の死後「武田勝頼」が跡を継ぐと、天正4年(1576年)6月、要害山城の普請を近在所郷に命じ城を強化した。城番は「駒井次郎左衛門」「武藤山城」「駒井昌直(右京亮)」が務めたという。
武田氏滅亡後、徳川家康の支配を経て豊臣系大名が入城し、「加藤光泰」により修築が行われた。文禄年間の修築を示す遺構として穴太積みの石垣が残っている。慶長5年(1600年)の「関ヶ原の戦い」後に甲斐国は再び徳川氏の領地となり、中心都市を甲府に定めたため要害山城は廃城となった。
【要害山城・場所・場所】
〒400-0011 山梨県甲府市上積翠寺町
【要害山城地図】
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