【城名】
館城
【館城の説明】
館城(たてじょう)は、現在の厚沢部町に築城された松前藩の城である。
明治元年(1868年)、函館戦争直前に松前藩が松前城(福山城)から本拠を移すために築城された。その理由の一つとして海岸沿いにあった松前城では洋式軍艦からの砲撃にさらされてしまうという理由があった。
その他、内陸を開拓し海に依存していた藩経済の転換を図ったとも言われている。同年、函館五稜郭を攻略した「榎本武揚」率いる旧幕府軍は新政府軍に属している松前藩攻略の軍を興した。松前城は海からの艦砲射撃に加えて、大鳥圭介率いる「伝習隊」や土方歳三率いる「新選組」らに攻められ数日で落城した。
この間、松前藩主は「館城」へ避難しており松前藩の抵抗はなおも続いた。旧幕府軍は松前藩を完全に駆逐するため「館城」の攻略を決め、五稜郭より「松岡四郎次郎」が率いる一聯隊200名が館城攻略へと向かった。
松前藩主はさらに江差方面へ避難しており、藩兵の多くも藩主護衛にあたっていたため館城には60名ほどの兵しかおらず松岡率いる「一聯隊」の攻撃により数時間で陥落した。そして松前藩兵は江差方面へと退いた。
この戦闘により城は焼失してしまった。現在の城跡には遺構があまりなく空堀の説明書きの看板や石碑が残るのみである。
【館城・場所・場所】
〒043-1100 北海道檜山郡厚沢部町字城丘
【館城地図】
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