上田城:真田昌幸が築城し徳川軍を散々苦しめた上田城【お城特集 日本の歴史】

上田城/アクセス・地図・場所 真田昌幸が築城し徳川軍を散々苦しめた上田城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
上田城

【上田城の説明】
上田城は長野県上田市二の丸にあった梯郭式平城である。
築城時期は天正11年(1583年)、信濃国小県の真田本城主の「真田昌幸」が天正11年~天正18年にかけて築城したと伝わる。

上田城/アクセス・地図・場所 真田昌幸が築城し徳川軍を散々苦しめた上田城【お城特集 日本の歴史】

上田城が一躍有名になったのが、天正13年(1585年)と慶長5年(1600年)の二度にわたる徳川軍との上田合戦で見事に徳川軍を撃退したことであろう。昌幸は徳川軍の半分以下の軍勢で散々にこれを打ち破った。

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しかし、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いで昌幸が属した西軍(石田三成)が徳川家康に敗れると、紀州九度山へ配流の身となった。この時、真田氏上田城は破却され堀も埋められてしまった。

昌幸の嫡男「信之」は徳川家に味方したため真田本家は改易を逃れ、引き続き上田・沼田の両城を統治した。信之は再三にわたり城の修復を幕府へ願い出たが度々却下され、元和8年(1622年)には信濃国松代へ転封となった。

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真田家の後に上田を領したのが仙石氏で、これも幕府へ城の修復を願い出てついにその許可が下り寛永3年(1626年)から現在の上田城の元となる普請が行われた。しかし寛永5年(1628年)、仙石忠政の死により工事は中断され、仙石氏は転封となり松平氏が入封し幕末を迎えた。

現在の上田城跡は二ノ丸跡が「上田城址公園」となっている他、本丸跡に真田神社が建立された。その他、櫓門や弊などが復元されている。






【上田城・場所・アクセス】
長野県上田市二の丸6263番地イ
現在は旧二の丸内が上田城跡公園という公園になっております。

【上田城地図】



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