【城名】
岩出山城
【岩出山城の説明】
岩出山城は、現在の宮城県大崎市にあった山城である。
伊達政宗が城に入る前は、足利一門で奥州探題であった大崎氏の家臣氏家氏の居城であった。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉は「小田原征伐」を終えると「奥州仕置」を行い奥州各大名の領地割を行った。これにより伊達政宗が蘆名氏より切り取った会津などの領地は没収され、旧葛西氏、大崎氏の領地には「木村吉清・清久」父子に与えられた。
しかし、ほどなく大崎、葛西氏の旧臣や領民による一揆が勃発し木村父子は城を追われてしまう。代わって米沢を没収された伊達政宗が大崎・葛西の旧領を与えられ「岩出山城」を本城に定める。
もともとこの城は「岩出沢城」と呼ばれていたがこの時、岩出山城と改められた。その後12年間、正宗が仙台の地へ城を移すまでここを居城とした。正宗が去った岩出山城には政宗の四男「宗泰」を初代とする岩出山伊達氏が居城として幕末・明治まで続くことになる。
現在の岩出山城跡には仙台藩の藩校のひとつである「有備館」や曲輪跡の土塁、大空堀、堀切、石垣などが残されている。また、一部は「城山公園」として整備され、宮城県岩出山高等学校と大崎市立岩出山小学校として利用されている。
城山公園内には伊達政宗像が建っている。
【岩出山城・場所・アクセス】
〒989-6437 宮城県大崎市岩出山城山
【岩出山城地図】
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