【城名】
竹中氏陣屋
【竹中氏陣屋の説明】
竹中氏陣屋は岐阜県不破郡垂井町にあった竹中氏の陣屋跡である。
羽柴秀吉の軍師として名高い「竹中半兵衛」の嫡男「重門」が、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、もともと親しかった「黒田長政」の呼びかけに応じ東軍に投じると戦後本城の菩提山城を廃して山麓に陣屋を構えたのが始まりとされる。
この軍功により重門は家康より本領6千石を安堵され徳川家の旗本に取り立てられている。江戸期を通じて竹中氏が陣屋を統治し幕末に至る。なお、幕末の当主「竹中重固」は江戸幕府陸軍奉行に任じられ、慶応4年(1868年)に勃発した薩長と徳川幕府との戦い「鳥羽・伏見の戦い」で敗戦すると竹中陣屋を没収されてしまう。
重固はその後も蝦夷地で展開された函館戦争が終結するまで徳川家の一員として戦い続けた。結果、6千石あった所領は300石にまで減らされたという。なお、現在の竹中氏陣屋跡には櫓門や石垣、水堀などの遺構が残されており、竹中半兵衛の像も建立されている。
【竹中氏陣屋・場所・アクセス】
〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手619-2
【竹中氏陣屋地図】
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