【城名】
太田城(舞鶴城)
【太田城(舞鶴城)の説明】
太田城(舞鶴城)は茨城県常陸太田市中城町にあった平城で、関東七名城の一つとして知られている。
築城時期は定かではないが、天仁2年(1109年)に「藤原通延」が、下野国から常陸国太田郷に入り太田氏を称した時期と考えられている。
その後、新羅三郎義光(源儀光)の孫「源昌義」が後三年の役の恩賞として大田郷を与えられ佐竹氏を名乗った。太田城主の「藤原通盛」はこの時、小野郷へ領地を移されて小野崎氏を名乗ることになる。
その後戦国時代を通して代々佐竹氏の本拠地であったが佐竹義重の嫡子「義宜」が、常陸一国を統一して水戸城へ居城を移した。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、石田三成と懇意だった「義宜」は旗を明確にしなかった。このため、徳川家康から除封の上、久保田城へと転封させられてしまう。
以後、徳川御三家の一つ「水戸藩」の居城として幕末まで水戸徳川家が治めることになる。なお、太田城には家老の中山家が入り「中山御殿」と呼ばれる屋敷(陣屋)を建てて周辺を統治した。
現在の太田城跡は太田小学校の一部となっており、城の遺構はほとんど残されていないが「舞鶴城址の碑」が建っている。
【太田城(舞鶴城)・場所・アクセス】
〒313-0005 茨城県常陸太田市中城町151
【太田城(舞鶴城)地図】
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