内牧城:名門阿蘇氏の滅亡後加藤清正の所領となった内牧城【お城特集 日本の歴史】

内牧城/アクセス・場所・地図 名門阿蘇氏の滅亡後加藤清正の所領となった内牧城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
内牧城

【内牧城の説明】
内牧城は熊本県阿蘇市内牧にあった中世・近世の平城である。
築城時期は不明だが戦国時代には阿蘇氏の家臣「辺春盛道」が城主だったと伝わる。

内牧城/アクセス・場所・地図 名門阿蘇氏の滅亡後加藤清正の所領となった内牧城【お城特集 日本の歴史】

豊臣秀吉の九州平定後に「佐々成政」が肥後一国を領するが、領内を治められず一揆を暴発させた罪で失脚する。その後、秀吉子飼いの「加藤清正」が肥後半国を領すると「加藤可重・正方」親子が内牧城代に任命され黒川を天然の堀とした改修を行った。

内牧城/アクセス・場所・地図 名門阿蘇氏の滅亡後加藤清正の所領となった内牧城【お城特集 日本の歴史】

慶長17年(1612年)に加藤正方が「八代城」に移封されると、加藤正直が「岩尾城」から入城したが、元和2年(1616年)の一国一城令で内牧城は廃城となった。

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現在の内牧城跡は内牧温泉の一角となっており、公園としても整備されている。城の遺構はあまり残されていない。






【内牧城・場所・アクセス】
〒869-2301 熊本県阿蘇市内牧267

【内牧城地図】



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