柳生城:松永久秀や筒井順慶が支配する大和国で戦国を生き抜いた柳生宗厳(石舟斎)の居城 柳生城【お城特集 日本の歴史】

柳生城/アクセス・地図・場所 松永久秀や筒井順慶が支配する大和国で戦国を生き抜いた柳生宗厳(石舟斎)の居城 柳生城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
柳生城

【柳生城の説明】
柳生城(柳生の庄)は現在の奈良県奈良市柳生下町にあった平山城である。
築城時期は定かではないが戦国時代の当主「柳生宗厳(石舟斎)」は柳生新陰流を創設した人物として著名である。

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宗厳の師は上州「上泉城」と「大胡城」を治めていた上泉秀綱(信綱)であり、聖剣と言われる程剣術・兵法を極めた人物で新陰流を創設し、その門下には多くの著名な人物がいた。

宗厳は初め「松永久秀」に従っていたが久秀が織田信長により滅ぼされると、その後大和一国を統治した「筒井順慶」には従わず戦国期を生き抜いた。しかし、豊臣秀吉が天下人になり「太閤検地」が実施されると隠田が見つかり領地没収の上、一族は滅びた。

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世の中が「徳川家康」の時代になると京都で家康に面会し、徳川幕府の正式な剣術指南役に任命され旧領も回復し最終的には1万2500石を領するまでになった。直接徳川幕府に仕えたのは石舟斎の末子「柳生宗矩」であり、宗矩は二代将軍秀忠の信任も厚かったという。

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宗矩は後年、自身の所領を子供達に分与したため、柳生家は一時期幕臣となるが、寛文8年(1668年)に本家が1700石を加増され、1万石を領する大名に復帰した。代々藩主は将軍家の剣術指南役を務めるため江戸に定府していた。

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以後、柳生氏が13代にわたって柳生の地を支配し明治時代を迎えた。

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【柳生城・場所・アクセス】
〒630-1231 奈良県奈良市柳生下町445

【柳生城地図】



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