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【城名】
石神井城
【城の説明】
石神井城(しゃくじいじょう)は東京都練馬区石神井台にあった城である。平安時代から室町時代まで石神井川流域に勢力を張った「豊島氏」の後期の居城であり、長尾景春の乱で没落するまで豊島氏が居城であった。
築城年代は定かではないが、この地に勢力を伸ばしてきた豊島氏が、鎌倉時代後期に居城の一つとして築城したと考えられている。室町時代後期、上杉禅秀の乱で足利持氏側に立った豊島氏は最盛期を迎えるが、やがて新興勢力の扇谷上杉氏側の太田氏と対立を深め「長尾景春の乱」において太田道灌に攻められ落城した。
この戦いにおいて、当主の「豊島泰経」とその弟泰明は石神井城と平塚城(武蔵国豊嶋郡「東京都北区」別名:豊島城)に拠り「太田道灌」と対峙したが、平塚城が攻撃を受けた際の救出戦(江古田)で惨敗を喫し泰明は戦死し、泰経は石神井城に落ちのびた。
その後「道灌」は石神井城に兵を進め城を攻撃し、泰経は平塚城を経て更に小机城へと落ち延びた。文明9年(1477年)ついに石神井城は落城し、廃城となった。翌文明10年(1478年)には小机城も落城し、遂に豊島氏は没落した。
現在は石神井公園として整備され、近辺には豊島氏や豊島氏を滅ぼした太田道灌にまつわる遺跡や神社がある。公園内の「三宝寺池」には石神井城落城の際に豊島氏の姫、照姫が身を投げたと言う伝説があり、これを偲ぶ碑が建立されている。
【石神井城・場所・アクセス】
〒177-0045 東京都練馬区石神井台1-18
【石神井城地図】
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