【城名】
国峰城
【国峰城の説明】
国峰城は現在の群馬県甘楽郡甘楽町にある城山にあった山城である。
築城時期は不明だが、延応2年(1240年)頃にこの辺り一帯を治める小幡氏によって築かれたとされる。
南北朝時代には南朝方に属しており、戦国時代初期には箕輪城の長野氏と同様に関東管領職を務める上杉家の重臣となっていた。天文15年(1546年)、上杉憲政が北条氏康に河越合戦で大敗北を喫すると、時の当主「小幡憲重」は氏康に従うことになる。
その後、武田信玄が上州侵攻を開始すると今度は武田氏に属する。この時点で関東管領を支え、信玄と互角に戦ってきた箕輪城主の「長野業正」は小幡憲重を上州から追放し、同じ一族の「小幡景定」を城主に置いた。
永禄4年(1561年)、信玄が西上野への侵略を行い国峰城を落とすと再び小幡憲重・信貞親子を城主に復帰させた。以降、信貞は武田氏の重臣として箕輪城攻めにも加わり度々戦功をあげた。
その後も「三方ヶ原の戦い」や、信玄亡き後の「長篠の戦い」にも従軍し貢献している。天正10年(1582年)主君である「武田勝頼」が「織田信長」に滅ぼされると小幡家は信長に降伏し、関東平定を命ぜられた織田家重臣「滝川一益」に従う。しかし、同年信長が明智光秀に「本能寺の変」にて討たれるとすぐさま「北条氏直」に仕えるようになる。
信長亡き後の後継者となった豊臣秀吉が、天正18年(1590)小田原征伐の軍を起こすと信貞は小田原城へ籠城し国峰城には養嗣子である「小幡信秀」を残した。しかし、あえなく小田原城は落城し、国峰城も前田利家や藤田信吉らの大軍に攻められて落城した。
その後国峰城は廃城となった。現在の国峰城跡は山頂に本丸跡や小幡氏を偲ぶ石碑や山麓に御殿跡などの遺構が残るのみである。
【国峰城・場所・アクセス】
〒370-2205 群馬県甘楽郡甘楽町(城山)
【国峰城地図】
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