【城名】
松葉城
【松葉城の説明】
松葉は愛媛県西予市宇和町下松葉にあった西園寺氏が治めた山城である。築城時期は定かではなく、鎌倉時代に「西園寺公経」が宇和郡を与えられ、下向し館を築いたのが始まりとされている。
西園寺氏は土佐の一条氏と同様に公家の出で、京都の戦乱から自領へ下向し戦国大名となった家の一つである。戦国時代に入ると当主「西園寺実充」は近隣の宇都宮氏や一条氏との争いを繰り返す中、居城を松葉城から黒瀬城へと移した。
弘治2年(1556年)には「宇都宮豊綱」と領土をめぐって争い、その戦いの中で嫡男「公高」が討死するという大敗北を喫している。実充が病に斃れると甥の「西園寺公広」が跡を継ぎ、その後も「一条兼定」や「宇都宮豊綱」との抗争を繰り返した。
天正12年(1584年)、長宗我部元親が土佐を統一し伊予国へ侵攻してくると「公広」は降伏して降った。さらに翌、天正13年(1585年)には、豊臣秀吉が四国征伐の軍を起こし秀吉配下の「小早川隆景」の攻撃を受けてあっさりと降伏している。
西園寺氏には松葉城のみの領有が認められたが、その後の四国征伐の論功行賞で宇和郡へ入封した秀吉の家臣「戸田勝隆」の謀略により公広は殺害されてしまう。これにより松葉城は廃城となり西園寺氏は戦国大名として完全に滅亡する。
なお、この一連の騒動の中で同じく伊予の大名「宇都宮氏」も滅亡に追いやられた。現在の松葉城跡には土塁や若干の石垣、堀切などが残っているのみである。
【松葉城・場所・アクセス】
愛媛県西予市宇和町下松葉
【松葉城地図】
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