山中城:豊臣秀次の大軍を前に北条氏勝が籠城した末に落城 山中城【お城特集 日本の歴史】

山中城/アクセス・場所・地図 豊臣秀次の大軍を前に北条氏勝が籠城した末に落城 山中城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
山中城

【山中城の説明】
山中城は静岡県三島市山中新田にあった山城である。
北条氏康が当主の時に築城され、本城小田原城を防衛する西の最も重要な拠点だった。

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氏康の死後「北条氏政」が跡を継ぐと、すでに天下を掌握しつつある豊臣秀吉との間が悪化。氏政は山中城の大改修を命じ、すぐさま改修作業が始まった。

しかし、天正18年(1590年)、秀吉が「小田原征伐」の軍を発すると山中城の改修は間に合わず、結局未完成のまま豊臣軍を迎え撃つことになる。

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攻撃側は秀吉の甥「豊臣秀次」率いる7万の軍勢で山中城全体を包囲した。一方、守城側は北条一門の「北条氏勝」を筆頭に「松田康長」「間宮康俊」ら3千の軍勢が守備にあたった。

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攻城戦は混戦を極め、守備側も「間宮康俊」の奮戦により秀吉直臣の大名「一柳直末」を討ち取るなど多くの損害を与えた。しかし、戦力差は次第に表面化し、籠城軍は劣勢に立たされ「間宮康俊」は主将である「北条氏勝」を撤退させて自らは城に残り討死した。

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結局、豊臣軍の猛烈な攻撃により城は半日で落城し、双方多くの死傷者をだした。なお、山中城はこの落城を期に廃城となっている。現在の城跡は「山中城址公園」として整備され、曲輪・堀・土塁などの遺構が残されており、日本100名城にも認定されている。






【山中城・場所・アクセス】
〒411-0011 静岡県三島市山中新田

【山中城地図】



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