【城名】
金石城
【金石城の説明】
金石城は長崎県対馬市厳原町にあった宗氏の城である。北東隣の桟原城とあわせて厳原城ともいう。享禄元年(1528年)に、宗将盛がこの地に築いた金石館を始めとする。
対馬は元々少弐氏が守護職であったが、少弐氏が守護を解任されると守護代であった宗氏が守護の地位を得ることになる。戦国時代になると幾度も九州本土への進出を図ったが、毛利氏・島津氏・大友氏・龍造寺氏に阻まれて進出は難航した。
豊臣政権時代の「文禄・慶長の役」中には朝鮮通信使を迎えるために、金石館を近世城郭に改築したといわれ、石垣や堀切が建造されたが、天守は築かれなかった。これが現在の金石城である。
宗氏は豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」では「宗義智」が小西行長の軍に従って度々戦功をあげた。1600年の関ヶ原の戦いでは西軍(石田三成派)に属したが、宗氏が持つ朝鮮との交易を重視され本領を安堵された。
寛文5年(1665年)になると城はさらに整備・拡張されて本格的な城郭となった。寛文9年(1669年)には宗義真によって造られた大手口の櫓門を天守の代用としていた。
江戸時代になり対馬府中藩となり、参勤交代で3年に一度江戸に出仕することとされ、江戸にも屋敷を構え対馬との間を行き来した。以後、明治維新まで断絶することなく宗家は存続し、維新後は華族となり、明治17年には伯爵に叙せられた。現在の城跡は、国の史跡に指定されており、城内で発掘調査された庭園は国の名勝に指定されている。
【金石城・場所・アクセス】
〒817-0021 長崎県対馬市厳原町今屋敷670-1
【金石城地図】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。