真田氏本城:真田幸隆が築城し昌幸が上田城へ移るまで真田家の本城 真田氏本城【お城特集 日本の歴史】

真田氏本城/アクセス・場所・地図 真田幸隆が築城し昌幸が上田城へ移るまで真田家の本城 真田氏本城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
真田氏本城

【真田氏本城の説明】
真田氏本城は長野県小県郡真田町にあった山城で真田氏発祥の地(真田の郷)でもある。
平時は山麓の館で政務を執り非常時は山頂の城を利用したと考えられている。また、後詰の城として「天白城」や「殿城山城」なども備えていた。

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築城時期は天文年間に、武田家臣で海野一族の「真田幸隆(幸綱)」とされている。天文10年(1541年)、甲斐の武田信虎・諏訪の諏訪頼重・信濃葛尾城の村上義清による連合軍と海野一族による戦が勃発し、海野氏は敗北。

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領地を奪われた「真田幸隆」は「海野棟綱」と共に上野国箕輪城の長野家へ逃れた。真田本城を含む小県郡は「村上義清」が治める地となるが、義清はこの地を治める拠点として砥石城(戸石城)を選んだようである。

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その後、幸隆は「海野平の戦い」では敵方だった武田家へ近づき父信虎を駿河へ追いやり、武田家当主となっていた信玄(晴信)の家臣となる。

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天文20年(1551年)、信玄の命を受けた幸隆は「戸石城」を調略にて奪い、小県の旧領を回復した。以来、幸隆・信綱・昌幸の三代に渡って「真田氏本城」およびその支城が整備された。

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真田昌幸が真田家当主になると本城を「上田城」に移し、真田氏本城は廃城になったと考えられている。現在の城跡には曲輪や土塁などが残り遺構の整備が進められている。

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【真田氏本城・場所・アクセス】
長野県上田市真田町長5140-1

【真田氏本城地図】



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