沼津城(三枚橋城):織田・徳川連合軍による甲州征伐にて落城した沼津城【お城特集 日本の歴史】

沼津城(三枚橋城)/アクセス・場所・地図 織田・徳川連合軍による甲州征伐にて落城した沼津城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
沼津城(三枚橋城)

【沼津城(三枚橋城)の説明】
沼津城は現在の静岡県沼津市大手町にあった平城である。
もともとは「相甲同盟(北条・武田)」が破綻したあと、北条氏からの守りを固めるため天正7年(1579年)に「武田勝頼」が三枚橋城を築城した。

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同年に「甲越同盟(武田・上杉)」が結ばれると北の脅威が少なくなり、上杉家への備えに配置されていた海津城の「高坂昌元」が三枚橋城主に任命される。天正10年(1582年)2月、織田・徳川連合軍が甲州征伐を開始すると伊豆方面の戸倉城が落城し、続いて三枚橋城へ北条勢が侵攻すると昌元は自国の海津城へ退去している。

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三枚橋城へは徳川勢が入城し、松平忠次が城主に任命された。慶長6年(1601年)には「大久保忠佐」が城主となるが、慶長18年(1613年)忠佐が死去すると跡継ぎのいなかった大久保家は断絶となり、翌慶長19年(1614年)三枚橋城は廃城となる。

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安永6年(1777年)、水野忠友が2万石で沼津に領地を与えられ、廃城して荒れ果てていた「三枚橋城」の跡地に沼津城を築城する。沼津城は本格的な梯郭式平山城で狩野川に隣接して本丸、二ノ丸、三ノ丸が造られていた。

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天守に相当する三層の櫓を本丸に建て、二ノ丸に御殿を建てた。その後、水野家が8代にわたりこの地を治め、水野5万石の城下町として栄え幕末を迎えている。

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沼津城は明治4年の廃城令以前に破却となり、本丸跡は中央公園として整備され城の遺構はほとんど残っていない。現在、本丸跡地に「沼津城本丸址」という石碑が建っている。






【沼津城(三枚橋城)・場所・アクセス】
〒410-0801 静岡県沼津市大手町4-3

【沼津城(三枚橋城)地図】



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