【城名】
高天神城
【高天神城の説明】
高天神城は静岡県掛川市上土方・下土方にあった平山城である。
永禄12年(1569年)、武田信玄は三河の徳川家康と同盟して駿河侵攻を開始し、家康が遠江を制圧し駿河を信玄が制圧。これにより今川氏真は掛川城へ逃れ今川氏は滅亡する。
今川氏より高天神の城代に任命されていた「小笠原氏興・小笠原氏助」父子はこの時、徳川氏に従属した。しかし、信玄の死後、武田家の後を継いだ「武田勝頼」は天正2年(1574年)高天神城へ侵攻し、援軍を送ることが出来ない織田・徳川連合軍に幻滅した小笠原親子は降伏する。
父、信玄でも落とせなかった高天神城を落としたことで勝頼の武名は一気に高まった。
勝頼は城主に今川氏の旧臣である「岡部元信」を任命し、高天神城の拡張を命じた。一方、失った高天神城の包囲をじわじわと縮めていた家康は「横須賀城」などの付城を築き攻略の機会を伺っていた。
そして、天正8年(1580年)ついに家康は高天神城への攻撃を開始し、岡部元信は約千名の城兵と激しく抵抗した。勝頼は西に織田信長、東に北条氏政などの敵を抱えており援軍を送れず、翌天正9年(1581年)元信は腹を切り城は落城する。
ここに武田氏と徳川氏で長い間激しく争った「高天神城の攻防戦」は終止符を打たれた。なお、落城後の高天神城は廃城となった。
【高天神城・場所・アクセス】
〒437-1434 静岡県掛川市上土方嶺向
【高天神城地図】
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