【城名】
猪苗代城
【猪苗代城の説明】
猪苗代城は福島県耶麻郡猪苗代町にあった平山城で別名「亀ヶ城」と呼ばれている。
鎌倉時代初期に奥州の藤原氏攻めに功績があった相模の国人「佐原氏」が猪苗代一帯を与えられ、城を築いたと言われている。
その後、子孫は代々猪苗代氏を称した。戦国時代に入ると会津の蘆名氏に従っていた猪苗代氏だが日増しに勢いをつける「伊達政宗」に従う決意をし、人取橋の戦いでは「猪苗代盛国」が大きな戦果をあげた。この戦いで蘆名義広は佐竹氏の元へ退去した。
これにより政宗は会津領を含め広大な領地を持つ大大名となった。しかし、この時、中央では「豊臣秀吉」による私戦停止令が出されており、関東の北条氏を降した秀吉は奥州仕置を行い政宗からは会津領を没収した。
これにより伊達家による会津支配が終わり、猪苗代氏も伊達家の家臣となりこれに従った。以降、猪苗代氏は代々伊達家の家臣として家名を残した。一方猪苗代城は会津城主が次々と変わる中、取り壊されることもなく存続しており、寛永20年(1643年)に「保科正之」が会津藩主になると城代を配置するようになった。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際は「母成峠の戦い」で新政府軍(薩摩藩・長州藩など)が会津藩や「新選組」などを破って会津領へ侵入すると、城代「高橋権大夫」は城を焼き会津若松城へと撤退した。この戦で建物は全て消失し、ここに猪苗代城の城としての役割は終わった。
現在の猪苗代城跡に建造物は残っていないが、石垣や空堀・土塁などの遺構が残っている。
【猪苗代城・場所・アクセス】
〒969-3123 福島県耶麻郡猪苗代町古城跡
【猪苗代城地図】
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