【城名】
角館城
【角館城の説明】
角館城は秋田県仙北市の観光名所角館にある山城跡である。
戦国時代に戸沢氏の本拠地があったことで知られている。
戸沢氏は応永31年(1424年)に北浦郡の門屋城から角館城へ移りここを拠点に領土拡大に努めた。天正11年(1583年)、戸沢氏当主「戸沢盛安」は仙北に侵入した安東愛季を破り逆に「淀川城」を奪取し北仙での地盤を確固たるものにした。
やがて北浦郡を平定すると、横手城主「小野寺義道」との戦にも勝利し上浦郡にまで版図を広げた。最終的には4万4,300石を得る大名となった。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐にはいち早く秀吉に謁見し領土を安堵された。
しかし、名将盛安は小田原城が落城する前に突然急死し、秀吉に嫡男「政盛」と弟の「光盛」への厚遇を託した。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが勃発すると家康率いる東軍に味方した「戸沢政盛」は新庄城6万石を配領し移封する。
一方角館城には同合戦で旗幟が不鮮明だった佐竹義宣が久保田城(秋田城)へ移封となり、角館城も佐竹氏の支配下に置かれた。城主には佐竹義宣の弟で蘆名家の養子となっていた「蘆名義広(盛重)」が任命された。この義広が城主の頃に現在の城下町が整備されたと言われている。(蘆名義広は伊達政宗との戦に敗れ、兄である佐竹義宣の家臣となっていた。)
その後、元和元年(1615年)の「一国一城令」に伴い角館城は廃城となった。明暦2年(1656年)蘆名氏が断絶すると一族の「佐竹義隣」が出羽「長野紫島城」から角館へ移封し明治まで続いた。現在、角館は東北の小京都と呼ばれ侍屋敷などの町割を見に多くの観光客で賑わっている。
【角館城・場所・アクセス】
〒389-0822 長野県千曲市大字上山田字城山
【角館城地図】
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