【城名】
相馬中村城
【相馬中村城の説明】
相馬中村城は現在の福島県相馬市中村にあった城跡である。
土佐の一条家の中村城と混合するため、相馬中村城と明記されることが多い。
永禄6年(1563年)、戦国時代の真っただ中「相馬盛胤」は陸奥国行方郡で勢力を誇り、領地を拡大する。ところが、南からは「岩城常隆」、北からは「伊達輝宗・政宗」親子が徐々に相馬氏の領地を圧迫し始めた。
すると伊達家への備えとして本城の「小高城」より北に位置する「中村城」を築き守りを固めた。その後も政宗の侵攻は激しく一進一退を繰り広げていたが、中央では「豊臣秀吉」が関東の北条征伐を開始した。
これにより政宗も相馬氏への進撃を中断し天下の情勢を見極めようとした。結局、政宗は秀吉の軍門に降り相馬氏も同じく秀吉の軍門に降った。その後、盛胤の孫「利胤」が正式に本拠地を中村城へと移しここに相馬中村藩が立藩された。
徳川家康が天下を掌握すると相馬中村藩は6万石として正式に大名として認められた。利胤は中村城の改修と城下町の整備を行い、近世城郭中村城が完成する。
しかし、寛文10年(1670年)落雷により天守は焼失してしまいその後の歴代藩主は天守を再建しなかった。幕末になると相馬藩は「奥羽越列藩同盟」に加わり、新政府軍の攻撃を受け城は落城した。
さらに明治4年(1871年)の廃藩置県によって相馬中村城は廃城となり、現在の中村城跡は「馬陵公園」として整備されている。
【相馬中村城・場所・アクセス】
〒976-0042 福島県相馬市中村字北町140
【相馬中村城地図】
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