【城名】
池田城
【池田城の説明】
池田城は大阪府池田市の高台にあった城である。
建武元年に土着の豪族「池田教依」が城の基礎を築き、その後池田氏代々の居城となった。
文明元年(1469年)、応仁の乱で東軍についていた池田氏は「大内政弘」の軍に攻められ一度は落城したがすぐに城を奪還している。
戦国時代に入ると、永禄11年(1568年)、この時の城主「池田勝正」は織田信長に抵抗したが織田軍の攻撃を受け落城した。しかし勝正は抵抗したにも関わらずお咎めを受けず逆6万石を賜って織田家の家臣となった。
信長は「摂津三守護」として「池田勝正」「伊丹親興」「和田惟政」をぞれぞれ任命し摂津の国を治めさせた。ところが、勝正の家臣「荒木村重」が勝正の一族「池田知正」と共に離反し池田城に攻め込んだ。
勝正は追放され、次いで伊丹城の「伊丹親興」、高槻城の「和田惟政」も村重に攻撃され城を攻め取られた。その後村重は信長に拝謁し、摂津一国を任され摂津守護に任命された。この時、伊丹城を有岡城と改名しここにを本城とした。
天正6年(1578年)、村重は突如毛利家に寝返り信長から離反し、有岡城にて籠城する。茨木城や高槻城は降伏・開城したが有岡城は約一年にも及ぶ籠城戦を展開した。
しかし、ついに有岡城は降伏し村重の一族郎党はことごとく処刑された。一方、村重はいち早く毛利家の領地へと逃げ込み、その後命を長らえた。一族郎党を見捨てたことで非難が集中した。
池田城はこの村重謀反の最中、信長本陣として利用されていた模様だが村重の謀反が落ち着くと廃城にされたと伝えられている。現在、城跡は「池田城跡公園」として整備されている。
【池田城・場所・アクセス】
〒563-0052 大阪府池田市城山町3-19
【池田城地図】
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