【城名】
泉藩陣屋
【泉藩陣屋の説明】
泉藩陣屋は現在の福島県いわき市泉にあった陣屋跡である。
元和8年(1622年)、鳥居忠政が磐城平藩から出羽山形藩へ移封されると、平城には上総佐貫藩から「内藤政長」が7万石で入封した。
政長の嫡男「内藤忠興」はこの時すでに2万石を領しており、政長が死去すると内藤家の後を継ぎ、同時に政長の末子の「政晴」に自身の2万石を与えて泉藩を立藩させる。
正保3年(1646年)、政晴の子の「内藤政親」が泉藩主になると居館や城下町の整備を行い領内改革を推し進めた。その内藤家が上州安中へ転封されると板倉家が入封し、延享3年(1746年)には「本多忠如」が1万5千石にて城主に治まる。
忠如の後を「本多忠籌」が継ぐと藩政改革を行い、財政再建を成功させた。この改革が老中「松平定信」の目に止まり、徐々に幕府の要職に就くようになる。
若年寄を皮切りに御側御用人に取り立てられ、次いで老中格にまで上り詰めた。この功績によりさらに5千石を加増され泉藩は2万石の石高となる。
泉藩6代藩主「本多忠紀」の時に戊辰戦争が勃発し泉藩は「奥羽越列藩同盟」に加わり新政府軍と戦った。しかし、小藩の悲しさ、微力な泉藩は官軍が攻めてくるとあっけなく降伏・開城している。
そして、旧幕府軍に味方した罪で2千石を減封の上、官位を剥奪された。その後、明治4年の「廃藩置県」で廃藩となり陣屋跡の遺構も消え去った。
【泉藩陣屋・場所・アクセス】
〒971-8185 福島県いわき市泉町4-16-7
【泉藩陣屋地図】
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