肝付城(高山城):大隅国で威を誇った肝付兼続だが島津家の攻撃により落城した肝付城【お城特集 日本の歴史】

肝付城(高山城)/アクセス・地図・場所 大隅国で威を誇った肝付兼続だが島津家の攻撃により落城した肝付城【お城特集 日本の歴史】

【城名】
肝付城(高山城)

【肝付城(高山城)の説明】
肝付城は本来は高山城と呼ばれる鹿児島県肝属郡肝付町新富本城にあった山城である。平安時代末期に平兼貞の子「兼俊」がこの地に城を築いたのが始まりと言われており、この時から肝付氏を名乗る。

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室町時代から戦国時代に入ると城の防備を固める必要性から肝付城は本格的な城郭へと変貌して行った。大隅国は南の薩摩島津家と北の日向伊東家に挟まれ苦しいながらも戦国時代を生き抜いていたが、天正元年(1573年)肝付兼続が当主の時、島津氏に攻められて肝付城(高山城)は落城する。

その後もしぶとく島津氏への抵抗を続けてきた肝付氏だったが、天正2年(1574年)、第19代当主「肝付兼護」は島津義久に臣従してその家臣となる。それでも領地はそのまま受け継いできたが天正8年(1581年)ついに領地も没収され別の地へ移封され、肝付城(高山城)も廃城となってしまう。

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慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発すると「肝付兼護」は討ち死にし、嫡子「兼幸」も急死してしまう。肝付氏は同じ島津家臣の新納氏から養子を迎え家名を存続させた。

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その他、多くの肝付氏一族が島津家に仕え薩摩藩士として家名を残している。現在、肝付城(高山城)跡はその遺構をほとんど残していない。

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【肝付城(高山城)・場所・アクセス】
〒893-1207 鹿児島県肝属郡肝付町新富8357

【肝付城(高山城)地図】



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