【城名】
大津城
【大津城の説明】
大津城は現在の滋賀県大津市浜大津付近にあった琵琶湖畔の水城である。
明智光秀が主君である織田信長を「本能寺の変」にて討ち取ると、その光秀を羽柴秀吉が討ち取り一躍天下人へと上り詰める。
その際、光秀の本城だった「坂本城」を廃城とし、新たに大津城を築くことを浅野長政に命じ城主とする。その後、「増田長盛」「新庄直頼」と城主が代わり、文禄4年(1595年)「京極高次」が6万石にて大津城を与えられた。慶長5年(1600年)、徳川家康と石田三成との間で「関ヶ原の戦い」が勃発すると高次は徳川方へ味方し、大坂の軍勢を大津城に籠城し迎え撃つ。
京極軍3千に対し、毛利元康・立花宗茂らの西軍1万5千が城を囲み攻防戦が開始された。高次は籠城すること7日、懸命に防戦し続けたがついに西軍からの降伏を受け入れ城を明け渡した。そして、自身は高野山へ上り剃髪した。
一方、徳川家康は高次が開城する数日後に「関ヶ原の戦い」で石田三成率いる西軍に勝利している。家康は西軍の一部を大津城で食い止め、関ヶ原の戦いに参戦させなかった高次の功績に報いるため小浜城(若狭国)8万2千石を与えた。
高次が若狭の小浜城へ移ると家康は大津城を廃城とし、近くに膳所城を築かせ東海道の要所とした。なお、現在大津城の遺構はあまり残っていない。
【大津城・場所・アクセス】
〒520-0047 滋賀県大津市浜大津5-2-29
【大津城地図】
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。