【城名】
瀬田城
【瀬田城の説明】
瀬田城は琵琶湖から流れる瀬田川沿いの滋賀県大津市にあった城である。
坂本城、大津城と並び琵琶湖三大浮城の一つに数えられている。
東海道と京都を結ぶ重要な地に位置しており、安土桃山時代の当主は「山岡影隆」が城主としておさまっていた。
天正10年(1582年)6月、京都にて明智光秀が主君である織田信長を討つ(本能寺の変)と近江を手中に治めたい光秀からの誘いを断り、「瀬田の唐橋」を焼き落とした。
景隆は信長生前時に伊勢攻めや雑賀征伐、伊賀征伐の軍に従い信長の信任が厚かった。このため、信長が上楽する際は必ず瀬田城を定宿にしていたようである。
瀬田の唐橋を焼き落とした景隆は甲賀へ引き上げ、その後瀬田城は廃城となった。
【瀬田城・場所・アクセス】
滋賀県大津市瀬田2-13
【瀬田城地図】
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